青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

真正の評価とは

 

 本書は、1992年にハロルド・バーラックらが中心となって、従来型の評価研究のパラダイムを打ち破っている試みと思われる論文を集めて1冊の本にまとめたものを翻訳したものである。

 この本自体、アメリカで1980年代に進んだ学力の画一化(ナショナル・スタンダードや標準化されたテスト)を批判する形で作られている。これは、以下のような問題意識からだと言われる。

 

 ① 子どもたちに育てるべき学力とは、本来、それぞれの地域や時代特有の課題によって変化するものであり、一般的・普遍的な形で定めることは困難であるし、定めるべきではない。

 ② 学力は、知性と情意面とを分離する発想で教育を論じるべきではない。しかし標準化されたテストは知性面ばかりを重視しており、また評価タスクがその地域特有の課題に応えるものとは限らないので、子どもたちにとって課題意識の持ちにくいもの、真剣に取り組む気にならないものとなる。

 ③ 国がナショナルスタンダードを作成し、標準化されたテストでその到達度を評価するやり方は、地域の課題とは無関係の何かを学力として子どもに押しつけることになるし、逆に地域の課題に応えるために必要なことを十分に保証することを難しくしてしまう。また行政による学校の管理統制が進行し、カリキュラムや授業の画一化を推し進めるだけである。

 

 こうした状況を改善するためにはどうしたらよいか。詳細は、本書にいたるところにちりばめられているが、個人的には以下のようにまとめられるかな、と思う。

 

 ① その地域に住んでいる子どもの学習文脈や社会文脈に配慮した課題を設定し、それを追求すること。

 ② 単元という数時間のレベルではなく、長期のプロジェクト(半期、1年間、あるいは数年間)をやり遂げていくなかで、評価づけていくこと。

 ③ 学校外の教育資源からの学びの機会をもっと増やしていくこと。時には、学校外の人間が参加し、彼らによる評価がなされること。

 

 

 これは、今の学習指導要領がキーワードとして掲げている、「学びに向かう姿勢」や「カリキュラム・マネジメント」が究極的に求めている姿であり、それを評価という形で保証すべきであることを述べている。

 また、ここで述べられている世界観は、地域の実情、子どもの学びの文脈を踏まえ、社会に生きる子どもたちをいかに評価していくか、ということにもつながるし、教育の分権化にもつながっていく考え方であると思う。

 

 

 しかし、この本を読む人が同時に感じるのは、日本の学習指導要領は法的拘束力を持っているから、地域の実情を踏まえた教育やカリキュラム編成、評価をすべきでない(してはいけない)と思っている人がいるのではないか、あるいは、学習指導要領の学習内容を教えるためのパフォーマンス評価をしなければならないのではないか、ということである。

 

 もちろんその要素があることは否定しない。しかし、指導要領は校長や教育委員会裁量権にもよるだろうが、ある程度地域の実情に合わせてカスタマイズすることは可能である。

 

 

 また、近年人口に膾炙するようになった、「真正の評価」やそれに基づくパフォーマンス評価が、学問に立脚したものであることを浮かび上がらせてくれている本にもなっており、指導要領の内容を網羅的に、あるいは学問的に教えることは、子どもたちの学習文脈から離れ、不自然な思考を促したりしているのではないか、という批判をしているともいえる。

 

 

 「真正の評価」は、何もパフォーマンス評価をすることだけではないことを感じることのできる一冊となっている。

 

 

「○○という学力だから無理」という考えについて

 今年から自分は、偏差値的に言えば「中堅上位校」と呼ばれるところに勤務している。この学校における文脈は、学ぶこと自体が苦ではないし、暗記することもそれほど苦だと感じていない。しかし、学ぶこと=暗記すること・教科書を書き写すこと、と考えている生徒が多く、前任校でやっていたような、学術的なものに関しては、そもそもどう手を付けてよいのか、が分からない層が多い。だから、普通に授業をしている先生にとっては、とても「指導しやすい」学校だと思う。

 

 それでも自分は、前任校レベルのものを提供したいと思いながら授業をしている。

 そんな中、勤務校の卒業生でもあり、6年ほど講師として勤めている日本史の先生とお話しする機会があった。その時に、自分のプリントを見て、

 「東大入試を解かせるような授業や、ここに書かれている大日本帝国憲法のコラムが分かる生徒は、よくて1人か2人なんじゃない」

 と言われた。

 たしかにそうだ。考査ごとに東京大学の入試を解かせてみているのだが、今回の問題は、どう手を付けてよいのかが分からない人がクラスに半分近くいたのが特徴的だった。

 その一方で、日本史は彼らにとってどうやら得点源らしいので、その先生は(この学校でやっている先生)、結局、知識を細かく、ていねいに教えていることをしている。それで、何だかんだで日本史を受験する生徒は8割近く取れているんだそうだ。

 

 この一連のやり取りの中で、自分がモヤモヤしていることがある。それは、

 

 ○○のレベルだから、これはできて、あれはできないということがそもそも存在するのだろうか

 

 ということである。

 この点について、自分は個人的にNoだと思っている。

 

 自分自身、大学院で歴史教育の論文を書くにあたって参考にしたのが、E.フェントンの「ホルト社会科」と呼ばれるプログラムである。これは、1960年代のアメリカ新社会科期のカリキュラムの一つで、いわゆる「詰め込み教育」が行われた60年代の、ブルーナーの学問の構造論の影響を受けているカリキュラムである。

 

 ブルーナーについては、様々な研究があるが、一言で言えば、「足場架けをすることができれば、小学生でも微分積分ができる」、そんな発想の考え方である。

 

 これがフェントンのカリキュラムでどう反映されているか。フェントンのカリキュラムの歴史教育だけにあてはめてみると、第11学年(高校2年生)に『新合衆国史』という、いわゆる歴史が設定されており、その歴史を学習する前に、9学年や10学年の段階で、政治や経済の授業が設定されている。そして、その政治や経済の授業の中で、政治に関する見方・考え方、経済に関する見方・考え方を実際の事例に当てはめながら獲得し、その獲得した見方・考え方を応用して、歴史の授業を行う、という考え方である。

 

 歴史は学問系統でいえば、「政治」「経済」「地理」などの諸要素を土台にしないと、学問的な探求や追求は難しい。そのため、こうした概念を先に学習し、それを歴史に応用させることで、歴史をより深く学ばせよう、と考えたのがホルト社会科になっている。

 

 自分は今でも、この考え方が、現行の指導要領下の中で、歴史を深く学ぶにはもっとも有効な手段だと考えている。なので、自分が歴史の授業で意識することは、政治的な諸要素や経済的な見方・考え方であり、それが歴史事象に影響を与えている、そんな視点なのである。

 

 もちろん、新社会科期のカリキュラムなので、内容が過多である、過度に学問主義である、生徒の文脈を無視している、社会科学における価値の問題を完全に外的なものととらえているなど、この時期特有の批判もあり、1970年代になると、フェントンは考え方を変えていくわけなのだが、この時期の学問主義的なカリキュラムを学ぶことは、これから始まる「コンピテンシーとしての歴史学習」において多大な影響を与えると個人的に考えている。

 

 そして、自分が東大の問題を課しているのは、難しいとか簡単とか、そういう次元で出しているわけではない。例えば今回は大日本帝国憲法をテーマにしているが、憲法とはそもそも何か、大日本帝国憲法に見られる二面性、そしてその二面性それぞれから見られる国家像の展望を知ってほしいし、その見方を、例えば今の社会と照らし合わせてほしいと思っているから、教材として提示しているに過ぎないのである。

 

 

 もちろん、前任校に比べれば、足場架けの数は増やさないといけないだろうし、今まで使っていたものをそのままやってしまうと、不和を起こしてしまうのは事実だろうと思う。でも、だからといって、彼らがやりやすい、知識を客観的なものととらえ、それを客観的なまま教える歴史学習をすることは、個人的には違うと思っている。

 現任校に勤務して半年。少しずつ前任校との違いを感じ、そこに悩み始めてきたなあ、と感じているところです。でも、その悩みがないと授業改善にはつながらないので、それを楽しみながら授業を作っていこうと思います。

 

※ちなみにE.フェントンのカリキュラムの特徴については、

 

山田秀和『歴史教育における価値注入回避の論理 : 中等ホルト社会科『新合衆国史』を手がかりとして』

 

渡部竜也『米国における「批判的思考」論の基礎的研究(Ⅰ) : 学問中心カリキュラムにおける「学問の構造」論の展開)

 を参照にしています。

大学院生時代に経験した「社会の見方考え方」を活用した授業

 現在の学習指導要領(高校は来年度以降の学習指導要領)では、「社会的事象の見方・考え方」を育てることが重要視されています。しかし、社会科についてはどうしてもコンテンツありきの授業がまだまだ主流になっており、そもそも「見方・考え方」を活用させる機会のないまま授業が多いように思います。

 しかし、学習指導要領改訂を機に、「社会的事象の見方・考え方」を働かせる授業を提案したり、「単元を貫く学習活動」を意識した授業というのも少しずつ広まってきています。

 そしてこれが来年度からは、もっとコンテンツベースの授業が行われている高等学校に波及していきます。果たして「社会的事象の見方・考え方」を生かした歴史授業になっていくのでしょうか。

 

 

 実は今の学習指導要領になる以前(今から12年前)、自分は修士論文で歴史解釈力を育てるためには、社会の見方考え方を育てる歴史授業を継続して実施することの重要性について研究していた。とはいえ、ストレートマスターだったので、年間や単元のレベルで実践することが難しく、何とかお願いして附属で「社会の見方・考え方」を意識した歴史授業を実践した。

 学習内容は「アヘン戦争」。ここでは、分析的理論として「貿易」に着目させたMQとしては、「なぜイギリスはまわりくどい三角貿易をして茶を得ていたのか。また、なぜそれが可能だったのか」。この問いを通して、19世紀の三角貿易の特徴について理解させ、その上で、アヘン貿易の是非について考える授業だった。

 主な問いは以下の通り。

Q1 イギリスは茶をどうやって手に入れているのか。

(MQの提示)

Q2 イギリスとインドの貿易関係が逆転したのはなぜか。

Q3 インドはこうした不利益な状態をなぜ拒否することができなかったのか。

Q3-1 イギリスの支配領域はどのようになっているか。

Q3-2 植民地とはどういう状態だろう。

Q4 イギリスは自国の綿布を中国に売ることができなかったのはなぜか。

Q5 なぜアヘンを売ろうと思ったのか。

 (麻薬の特徴は何か。国内で禁止されている麻薬はどのように入ってくるのか)

Q6 こうした事態を、あなたが中国の官僚だったらどう対応するのか

Q7 あなたがイギリスの議員だったら、アヘン貿易をやめますか。続けますか。

Q8 イギリスはなぜアヘン貿易にこだわったのか。

 (自国の植民地維持のために戦争をしていて、そのための戦費として銀が必要だった)

Q9 こうした事例は、他の時代や他のところでも起きていないだろうか。

 

 今見ると、かなり網羅主義の色彩は強いが、それでも経済に注目させたり、事例研究としての歴史授業を意識していることが分かる。

 で、この授業を2クラスしたのだが、「はまった」クラスと「はまらなかった」クラスに分かれたのである。片方は、Q2~Q5で説明される「イギリスに利益が入る貿易の構造」が共有されたことで、その後のQ7の答えの中で、

「軍事費とかがかかってしまう(から反対)」

「戦争で勝てたら植民地が増えてばく大な利益がえられる(から賛成)」

という意見となった。

 また、この授業の感想では、

「幕末のペリーが開国を迫った日本に似ている」

「1年生の時に習った紅茶やコーヒーのことに似ている」

など、今回の授業と他の事例(授業)を比較させている生徒がいるなど、比較・転移の兆しが見えていました。

 その一方で、やはりこうした授業はレベルが高く、「はまらなかった」クラスは、大部分が内容の難しさ・高度さを感じていました。特に、歴史の場合は、「戦争」や「植民地」など、社会事象の要素が複雑に絡み合っているワードを、特に説明せずに授業で提示した結果、生徒が混乱したわけです。生徒のリアクションペーパーにも、

「なぜ戦争につながったのか」が載っていないからよく分からない。それと、お茶の話はどこへ行ってしまったのか

と書かれていた。

 また、「はまらなかった」クラスのQ7では、

「健康に良くないものを売り込むのはよくない(から反対)」

「国にとっていいことがある(から賛成)」

 と、社会の見方考え方ではなく、自分の感覚で主張している状態だった。

 

 個人的には、歴史総合の授業で目指しているものって、こういう「見方・考え方」を踏まえた授業なのではないか、と思っている。その時に気を付けないといけないのは、その概念や見方・考え方が生徒がどこまで理解できているか(理解可能か)を見定めなければならない。それが共有されないままだと、結局感覚で主張するか、知識を外的なものとみなして、「答え」を探して写経するだけになってしまう。

 

 そして、この研究のもう一つの特徴は、協力してくれた附属の先生が、自分の教材をアレンジして授業をしてくれたことだった。その問いはこんな形だった。

 

Q1 ケシの花の写真を見せて、(これは何の花?)

Q2 ケシからとれる麻薬は何? (大麻・コカイン) 

   (=「麻薬」を導入部分に使っている)

Q3 中国とイギリスの関係はどうなっていただろう。

Q3-1 中国からイギリスへは何が輸出されていましたか。

Q3-2 イギリス人が好きなものは何? (紅茶を引き出す)

Q3-3 日本でお茶を作っているところはどこ?

Q3-4 静岡は日本でいうとどんなところにある?

Q3-5 静岡の気候は?   

  (=気候的にイギリスで需要はあるのだが、茶の生産が難しいことを理解させる)

 

(18世紀の「イギリス」の貿易状況を示しながら)

Q4-1 中国・インド・イギリスのうち、最も困るのはどこ? (イギリス)

Q4-2 なぜ困るの? (銀がなくなるから)

Q4-3 銀がなくなることはどういうことを意味するのか (財産がなくなる)

Q4-4 銀を取り返すにはどうしたらよいか  (輸出を行う)

 

(19世紀、イギリスの貿易関係が逆転したことを示す)

Q5 なぜ、綿織物の輸出関係が逆転したのか

Q5-1 18世紀から19世紀の間に何がおきたのか? (産業革命

Q5-2 インドは綿織物を何で作っていた? (手)

Q5-3 イギリスは綿織物を何で作っていた? (機械)

Q5-4 機械になったことで、綿製品はどういう風になった?

 (安く、大量に作れるようになった)

 

(19世紀の三角貿易の図を示しながら)

Q6-1 三角貿易で最も困る国はどこか? (中国)

Q6-2 なぜ中国が困るのか? (アヘン中毒者が出てしまう・銀が流出してしまう)

 

Q7 なぜ、常用すると中国となるアヘン(麻薬)が昔も今も売買されているのだろう?

Q8 お金と命、どちらが大切だろう?

Q9 自分が豊かになるお金と、アヘンに苦しむ中国人の命、あなたはお金と命、どちらをとりますか?

Q10 アヘンの売買はどうしたら売買されなくなるでしょうか。

Q11 アヘンの82%を栽培しているアフガニスタンはどんな状況ですか?

Q12 清(林則徐)・イギリス(グラッドストン)に素晴らしい政治家がいたにも関わらず、アヘン戦争になってしまった。なぜアヘン戦争は避けられなかったのだろうか。

 

 この授業の特徴をまとめると以下のようになる。

① 生徒にとって「理解可能」な麻薬の問題を導入に持ってきていること。

② 18世紀と19世紀で貿易状況を「対比」させている。

③ 問いの細分化し、「どのように(How)」の問いを増やしている。

④ Q8やQ9のように、現代に即した(哲学的でオープンエンドな)「問い」を示している。

⑤ 「多数決は民主主義にとって本当に有効な決め方か」「アフガニスタンの現在」などにつながるような授業展開にしている。

 

 

 この事例は、あくまでも中学校の事例であるが、歴史総合で求めている「見方・考え方」はおそらくこうした「足場かけ」をていねいにすることが重要だと思う。この「足場かけ」がどこまでできるか、が歴史総合をより「有用性のある」授業にできるかの成否を分けると個人的に思っている。

 

 

 12年前の自分の修士論文を引っ張り出してきて、主に「問い」に注目して授業分析を行った。個人的には、こうした「足場かけ」の授業をしないと、歴史総合は、「歴史上の出来事を外的な(客観的な)知識ととらえ、それを単に教え込むだけの授業」や、「とりあえず歴史に関係ある何かを調べさせ、それを発表する授業」になってしまう可能性が高いのではないか、と思っている。

 また、こうした「問い」を軸にした授業にすることで、生徒と「やり取り」をしながら授業を作ることができるというメリットがあり、一緒に授業を創り上げていく事もできるし、生徒が「学んだ」という実感を得ることもできるようになる。時数は限られているかもしれないが、こうした授業を1つでも2つでも積み重ねていく事が、高校でも求められていると思う。

 最近買った本

 

 

 

 「4つの89年」に興味を持って購入。「4つの89年」とは、1689年がイギリスで権利章典が出され、1789年はフランス革命が起きて、人権宣言が定められ、さらに1889年は日本で台本帝国憲法が、そして、1989年は中国で天安門事件ベルリンの壁崩壊が起きた年、ということで、偶然にも歴史の「画期」となる出来事が89年に起きているということを憲法学者樋口陽一氏が「4つの89年」と表現しています。

 特に『自由と国家』は、1989年に書かれているというから驚き。憲法という国家の骨組みから国家論や歴史を分析していくと、本当に巨視的に物事が見られて、勉強になります。この「4つの89年」は、歴史教科書に掲載されるようなので、それも見据えて購入したのですが・・・。こちらが理解するのが難しいなあ・・・と。

 イメージとしては、人々が権力者から1689年に権利を獲得し、1789年には人民主権憲法が定められた。しかし、1889年の大日本帝国憲法では人民主権の要素は残るものの、君主の権利が拡大。しかし、1989年には社会主義国家が崩壊する(独裁者主体の国家が崩壊する)、あるいはこうした状態に抗議する活動が起きる、というイメージで、さあ、現在は・・・といった感じかな、と。

 で、樋口陽一さんが2019年に書いたのが「リベラル・デモクラシーの現在」ということで、1989年の曲がり角以降、民主主義はどうなっていったのか、を論じています。

 こうやって歴史を眺めるのは、こういうのが好きな人にとっては勉強になるけど、初学者の高校生には伝わるかなあ・・・というのはあるなあ、と。それに自分もこの解釈で正しいのか怪しいし。

 

 

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者であるブレイディみかこさんによる「エンパシー」に特化した本。

 「アナーキー」とは、無政府主義のことをさす。無政府主義というと、危険思想のように聞こえがちだが、国家が僕らを守ってくれないなら、自分だちで相互扶助しあい、ともに支え合っていく社会を作っていく方がよいのではないか、というのがもともとのアナーキズムの発想。このようにブレイディさんのこの本では、逆説的な視点で社会を描いている論稿が非常に多い。

 例えば、第3章の「経済にエンパシーを」では、利己的に生きることが利他的であり、利他的に生きている人ほど実は利己的である、という逆説が指摘されています。こういう事例は結構あって、例えば「誰かのために」と余計な仕事まで行うことで結果的に残業時間が増え、作業効率が落ちてしまうという事例は、どこの組織でも見られる現象なのでは、と思います。ゆえに、「利他的」を主張する人ほど、実はエンパシーしていない、ということが分かります。

 これは、第10章の「エンパシーを「闇落ち」させないために」にも通底していて、エンパシーとは、他者の文脈に立って考えたり行動することを指します。この点は、相手を感情的に「思いやる」シンパシーとは異なる概念になります。しかし、「エンパシー」を強調すればするほど、余計なエンパシーを行ってしまい、かえって思考停止になってしまう、だから、エンパシーを強調すべきはない、という議論でした。これを「闇落ち」と表現しています。

 近年の歴史教育の議論では、学術的かつ実用的な歴史を考えた時に、その一つの概念として「エンパシー」が登場してきます。ただし、これを研究対象とし、それを測定することは難しいなあ、と改めてこの本を読みながら感じました。

 

 

 

 まだ読んでいる途中ですが、おすすめ。特に教科書で荘園がピックアップされている項目(第1章から第4章)だけでも読むことをおすすめします。

 今年の共通テストでも出題された領域型荘園。それを近年の研究を踏まえながら丁寧に説明してくれています。これまでの荘園は、教科書でも寄進地系荘園の言葉に代表されるように、「下からの荘園形成」が語られてきましたし、多くの日本史の先生はそうやって説明するかと思います。

 しかし現在では、院政期以降に上皇の側が領域を囲い込み、その場所の私有を保障するという形式が荘園であると言われるようになってきました。まさに「上からの荘園形成」ですね。特に、寄進行為が、土地の所有権を保障してもらうために、摂関家上皇に集中するようになった頃から、上皇の側がある程度土地を囲い込むことができるようになっていきます。これが院政期に見られる荘園で、この院政期になって、教科書に出てくる「荘園公領制」が確立していくわけですね。

 現在の日本史の教科書は、両者の記述が併存して書かれているように感じます。歴史教科書のアップデートを阻害しているのは、歴史を教える教師だとよく言われます。だからこそ、高校の日本史を教えている先生は、読んでほしい本だなと感じています。実際、共通テストでも模擬試験でも、この本に書かれているような理解で問題が作られ始めていますから。

 ねぶた祭りを考える2021

 ノーナレというNHKの番組を見ました。主人公は青森ねぶた師の諏訪慎さんの娘さん。2020年、新型コロナウイルス感染拡大により、ねぶた祭りは中止。そして2021年、今年も感染拡大はおさまらず、結果として中止。諏訪さんの大型ねぶたは制作されませんでした。

 でもこの番組の最後には、諏訪さんが小さなねぶたを作って、自分の住んでいる地域だけでねぶたを運行し、その様子に涙する諏訪さんの様子が放送されていました。

 この番組をみて、この2年間の感染症の拡大は、ねぶたの本来のあるべき姿に戻るきっかけにもなったのだな、と自分は感じました。

 

 このブログが始まった2004年以降、幾度となく「観光としてのねぶた」と「地域の祭りとしてのねぶた」の対抗軸を立て、青森に住んでいた人間からすれば、「地域の祭りのしてのねぶた」が、ねぶた本来のあるべき姿である、ということを論じてきました。

 

 自分は五所川原立佞武多に長らく参加してきましたし、立佞武多が復活し、それが地域の祭りから観光資源としての祭りへ変化していく様子、それにともなって、「地域で祭りで騒ぎたい人」たちを「カラス」とレッテルを貼り、それを排除している様子への疑念、などを指摘してきました。

 幸い、2000年代から2010年代に起きたカラスハネトの問題は、ルールを定めることにより、ある程度の解決に向かい、大きな事故やトラブルなどは減ったように思います。

 しかしその一方で、奥津軽に明治時代以降伝わる「石打無用」のケンカねぶたの伝承はなりを潜めたようにも思います。

 

 

 そうして観光化が定着していった中で、2020年、2021年は「観光としての」ねぶた祭りは中止となりました。これは青森に限らず、弘前五所川原も同様でした。

 青森市の場合、ひとまずねぶたは制作していく、でも、感染拡大で結局中止、代替イベントを9月に検討、それを8月に早め、1日だけ実施、など、かなりのすったもんだがあり、結果的に22団体のうち、16団体がねぶたを制作、その後の代替イベントは結果として9団体のみの参加となりました。こうしたすったもんだの中で、作り始めた後に結果として壊したねぶたもあると聞いています。感染拡大が予測できなかった、という部分もあるかとは思いますが、こうした話を聞くと、ねぶたバカの一人としてはとてもやるせない思いになります。

 こうした実情は、観光として、商売活動としてのねぶた、というものに大きな疑問や波紋を投げかけるものになったのではないか、と思います。

 

 

 その一方、弘前市五所川原市では、独自にねぷた立佞武多を制作し、地域で運行する取り組みが行われました。五所川原市ではねぶた団体の誠和会が、一日限りではありますが、ねぶたを制作し、地域を運行。さらに五所川原高校では、2年越しに立佞武多を制作し、生徒・保護者・県内OBとOG限定ではありますが、校内での運行が行われました。東京在住の自分は参加できませんでしたが、幸いにもオンラインで視聴することができ、その雰囲気を少しだけですが、味わうことができました。弘前市でもyoutubeなどを見ると、合同運行はなかったものの、地域レベルで運行したと聞きます。

 

 

 

 この2年間の感染症拡大は、1950年以降、観光資源としてねぶた祭りを進めてきた行政や企業にとっては大きなダメージとなったと思います。しかし一方で、それでも青森県民にはねぶた好きはいっぱいいて、そうしたねぶた好きな人たちが「ローカルなレベル」で、純粋にねぶたを楽しむきっかけを作ったともいえるのではないかと自分は思っています。まさにねぶたが「地域としての祭り」に戻った、そんな2021年だったと感じています。

 

 

 改めてノーナレでは、どこからともなく聞こえるねぶた囃子に興奮する様子が描かれていました。自分もその気持ち、分かるんですよね。本当に空耳のように聞こえるというか・・・。津軽弁では「じゃわめぐ」(血が騒ぐ)というか・・・。そうして、ねぶたという伝統を絶やさない、地域での取り組み、というものを今一度、見つめなおしていく必要があると自分は思っています。

 

 

 そして、2022年こそは各地のねぶた・ねぷた立佞武多が再び行われることを切に願っています。来年こそは参加したいなあ・・・。

今月買った本

 

 社会で求められている人材が変わっている中で、そこに気づいて徹底的に実践されている工藤勇一先生と、鴻上尚史さんとの対談本。

 工藤先生の本をかなり読んでいる自分からすれば、「当たり前」のことしか書いていないのですが、こうした考えはまだまだマイノリティのようで。

 「校則を自由にした」とか、「定期考査を廃止した」とか、「担任制をやめた」とか、そういう手段が語られることが多いですが、その手段だけをとって「形だけ」やるのはとても危険。

 むしろこの本から読み解いてほしいのは、「何のために教育をするのか」、という目標であり、校則や定期考査、担任制の変更はその手段でしかない、ということである。そうした視点で読むと、いろいろなことが見えてくると思います。おすすめ。

「見通し」を持った社会科学習の重要性

 雑誌『社会科教育』10月号の特集が、「単元を貫く学習課題&授業プラン」。この号の特徴は、実際の「問い」や使用している「資料」が単元計画という形で、具体的に示されているところにある。これにより、先生方による追試可能な形態となっている。

 (恥ずかしながら、その号の高等学校・歴史の実践で掲載させていただいた)

 

 学習指導要領の改訂により、それまでは1時間あたりの発問や学習課題に焦点が当たりがちだったものが、1単元あたりで学習課題を設定し、それを1時間の授業でつなぎ合わせていく実践が少しずつ人口に膾炙するようになってきた。かくいう自分も、修士論文(2009年度)で、歴史解釈力を育てるためには1時間の授業では身に付かないので、単元、あるいは年間指導計画で、資質・能力を育成していくべきであると論じていた。

 

 そんな中、非常に興味深い本が、同じ明治図書から発売された。

 

 

 

 著者である内藤圭太氏は、学習指導要領改訂以前から、単元を貫く「発問」を意識して授業作成にあたり、2015年には、『単元を貫く「発問」でつくる中学校社会科授業モデル30』という本を出版している。

 それから5年経ち、学習指導要領の改訂と、内藤氏自身がさらに重ねてきた実践を踏まえ、この本では中学校の3学年、三分野すべてを貫く「発問」を構成したのがこの本となっている。

 それまで3年間(あるいは各分野別の)学習内容に特化した本は数多く出版されているが、3年間の「発問」を意識し、それを体系的に示した本は、この本が初めてではないだろうか。氏は、この本を執筆する理由を以下のように述べている。

 

① 中学校社会科三分野の3年間の指導計画、社会に開かれた教育課程、カリキュラム・マネジメント等を含む教育課程編成に役立つものとすること。

② 「指導と評価の一体化」のための計画例を示し、生徒に観点別学習状況の評価を行い、生徒の学習改善や教師の授業改善につながるものとすること。

③ 新学習指導要領の主旨に基づく実践事例集とし、教育実習生や初任者から教員経験年数の長い方々にとっても明日使える授業のアイディアを提供するものとすること。

 

 では、内藤氏が単元を貫く「発問」の要件をどのように考えているのか。氏の主張は2015年の著作でもなされているが、今回、それを再構成したものが以下の5点である。

 

① 1単元を通して課題解決をすることができるものであること。

② 学問的な学びにつながり(科学的な社会認識形成)、主権者育成(市民的資質の育成)に寄与するものである「本質的な問い」であること。

③ 生徒が課題を把握しやすく、単元全体の学習に見通しをもたせ、課題を主体的に追究したいと思わせることができるものであること。

④ 各次を貫く中心発問(小単元の課題)あるいは、毎時間の授業の主発問(本時の課題)を導くものであること。

⑤ 単元を振り返る際に、まとめや評価を行うことができるものであること。

 

 内藤氏の単元を考え方は、一般的にいわれている単元の規模よりも大きいものとなっていることがポイントである。通常単元といった時には、歴史でいえば「鎌倉時代」や「室町時代」、地理でいえば「九州地方」や「北アメリカ州」などといった規模で学習課題が考えられる。『社会科教育』10月号の「単元」もその範囲である。内藤氏の著作に依れば、その単元は「各次の小単元」に位置づけられている。

 では氏が単元として想定されているのはどの範囲か。具体的に言えばそれは学習指導要領の項目にあたる。すなわち、小単元が5~6時間程度だとすれば、内藤氏のいう単元は、20時間以上のものもある。これは歴史でいえば「古代」や「中世」の枠組みであり、地理でいえば「世界地理」「日本地理」の枠組みである。

 例えば、歴史的分野でいえば、すべての単元を貫く問いが「Aの時代は、どのようにしてBにつながったか」という問いで貫かれている。また、地理でいえば「日本の諸地域を学習する視点を考えよう」という地理的な「分析視点」の発見を問いにすえている。

 特に興味深いのは、公民的分野の経済単元で、問いは「私たちはどのように市場経済に関わるのがよい?」というものであるが、その具体的な事例をすべて「コンビニの経営を通して考えてみよう」と設定し、コンビニを通した消費活動、金融活動(価格の設定、景気変動、資金調達など)、労働者の権利を考察させている。

 こうした「見通し」を立てることにより、後は生徒の実態や学習時数に合わせてうまく調整することで、中学社会で起こりがちな、歴史ばかりやって公民がほとんど進まない、という課題を解消することができる。特に今回の学習指導要領では、小中高一貫の学習が想定されている。高等学校の歴史総合で想定されているものは、中学の歴史的分野の「知識」と、公民的分野の「見方」である。これが欠落している状態で歴史総合を行うことは不可避なのである。

 

 

 また、こうした「見通し」を生徒に提示することは、生徒の学習内容の理解にもつながる。オチのない学習は生徒にとってつらい。そういう意味でも、効果的である。

 さらに、授業展開例や評価方法の例なども提示されているので、教師がアレンジしたり、追試したりしやすいものとなっている。

 

 こうした特徴を持っている本書であるが、個人的にはいくつか注意しなければならないことがある。

 一つ目は、こうした「発問」は、内藤氏が「何のために社会科を教えるのか」をしっかり目標付け(aim-talk)をした上で作られているということにある。しかし、エイムトークの議論を抜きに語られてしまい、「手法主義」や「コンテンツフリー」であるという批判にさらされないか、が心配である。そのため、教師の側は、氏の問いが「どんな意図で」発問されているのかをしっかり読み解いて、授業を構成すべきだと考える。

 二つ目は、「発問」の背後にあるコンテンツは、思っているより深いということである。それは、氏の授業例を見るとよく感じられる。特に、このプリントにある「問い」に教える側がきちんと答えられるか、その上で、授業をどう構成していくのか、をシュミレーションできるかを考えて読んでほしいと思う。

 三つ目は、実践された授業(enacted curriculum)であるという点である。そのため、主権者育成や科学的認識については、学習指導要領の制約を受けている。とはいえ、その制約の中で、社会科の目標をしっかりと踏まえて構成されていると思う。ぜひ実際に受けた生徒が、「社会科をどんな教科と位置付けたのか」を聞いてみたいところである。

 

 

 今年度より実施されている中学校社会の学習指導要領をふまえ、自らの実践(発問)を惜しげもなく紹介してくれているので、中学校の現場で教えている先生の参考になるのではないだろうか。