青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

チャリティーミュージックソン〜個人的に思ふこと

 ここもあくまで主観的意見が入ります。ご了承下さい。
 まず、今回のミュージックソンですが、ミュージックソンらしい放送になったと思います。特に今年はパーソナリティ自らが募金を集めに行くという試みが行われました。結果、うえやなぎさんがメインパーソナリティみたいになったり、途中もめたりと、いろいろなハプニングがありましたが、結果としては実際に集めに行くことで、人間どうしのつながりというのが垣間見えたと思います。
 悪く言えば、無難で豪華さにはちょっと欠けた放送だったと思います。しかし、豪華さが欠けたことによって逆に、リスナーの温かさがにじみ出たと思います。
 これがラジオパーソナリティ初仕事という石原さとみさんも初めはおっかなびっくりで、つなぎのトークにびくびくしていましたが、徐々に放送中のあいづち(1時台)や積極的に話しに参加する姿勢が見られ、ラジオパーソナリティとは?みたいなことを全て吸収できたのではないかと思います。これを機に本人も「ぜひともラジオ番組をやりたい」と言っていたので、ニッポン放送さん、春改編で考えてみてください。さとみさんの声も結構ラジオ向きの声だと思います。いいパーソナリティになりますよ。
 鶴瓶さんはやっぱりラジオ出身だけあって、しゃべりはすばらしかったです。外を実際に歩きながら、募金してくれる人に挨拶をしながら、ラジオ放送をするというすごく難しいことを難なくこなせている姿にさすがだと思いました。中居さんが1時台でゲストに来た時なんかこれぞ、オールナイトニッポンだ、というのを見せ付けてくれました。各地を回って本当にご苦労様です。
 エンディングは正直もらい泣きしそうになりました。鶴瓶さんが「何で今までチャリティーの仕事を断ってきたんだろう。そう思うと、自分が情けなく感じる。」と泣きながら発言されたとき、僕は本当に感動してしまいました。
 鶴瓶さんがチャリティーの仕事を断っていた理由、それは、「チャリティーと言うのは個人が必然的にやるのはいいけど、それを公でやるのはどうか・・・」という意見からだそうです。しかし、この番組を成功に導けた、その安堵と充実した達成感が後悔へと変わっていったのだと思います。


 今年のラジオチャリティーミュージックソンは終わりました。しかし、まだ募金は続けられています。そして、目の不自由な方が安心して街を歩けるようになるための音の出る信号機はまだまだ不足しています。そして、これが達成されるまでこのプログラムに終わりはありません。全国で音の出る信号機の割合はまだ6%だと言われています。青森県でも各市の中心商店街ではありますが、一歩郊外へ出ると、ほとんどみかけなくなります。しかも、この信号機設置のためには約150万かかると言われています。目の不自由な方が困るもの、それは健常者では日々気付かない非常に小さなこと、そして偏見です。一番理想的なのはそういう人を見かけたら、一緒に道路を渡ってあげることです。一人一人の思いやりが目の不自由方に限らず、健常者と共に生きている障害者とともに生きる社会、「真のバリアフリー社会」を構築するのだと思います。
 今回僕は実にこのミュージックソンを聞きながらなかなか募金する機会がなく、約3〜4年ぶりに募金をしました。これだけでも非常に恥ずかしいことだと思っています。だから、今年は今までの分も入れました。そして、来年も募金します。
 理想論を書きながらも、「まず隗より始めよ」、自分もこのことを積極的(ボランティアの仕事とか)ではないにせよ、意識して取り組もうと思います。


 今回のラジオを聞いて、なんだか少しだけ幸せに、そして、笑顔になれたような気がします。本当に、鶴瓶さん、石原さとみさん、うえやなぎまさひこさん、そして、募金の電話を受け付けてくれたみなさん、実際に募金活動をしてくれたみなさん、お疲れ様でした。そして、このミュージックソンを聞いて、そして、募金をしてくれた人の御恩が少しでも報われることを祈りましょう。