青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

2004年を振り返る③〜ラジオ投稿編

 ここのところちょっとたて込んでいて、書けていませんでした。なので、今書きたいと思います。
ちなみに、次回は上半期・下半期2回に分けて、今年の青い森(僕個人)編をお送りします。



 今年は受験戦争にも見事勝つ事が出来、本格的な投稿デビューを果たしました。今年の初採用は2月、小倉優子のラジオではなく、何とナイナイのオールナイト。ゆいにゃんへの質問でした。ナイナイ初採用の事実を知ったのは、翌日授業前に本多さんに指摘されて。実はその日に自分の中での葛藤が表面化し、家で不貞寝をしていたんです。ナイナイの初採用の日がおそらく今年一番落ち込んでいた日ではなかったのかと。それなので採用報告を聞いた時は正直「えっ」って感じでした。これは奇跡が起こったとしかいいようが無いでしょう。あんな由緒あるラジオあるラジオで読まれるんですから。
 その後、大学は前期で合格し、徐々に投稿番組の数を増やしていきました。3月にはなんとか小倉優子のラジオで通算10採用をもぎ取り、充実した月でした。天外でもノベルティがもらえたし。
 4月、東京に上京し、いよいよ投稿を本格化。当初送る番組に固定したのはおそらく7つ。しかし、結果が出ず、4月はなんとか採用1をもぎ取るものの、不安定な時期が続きました。
 5月、4月からの目標だった「山桜ベイベー」での初採用を果たす。ようやく来た、と僕も一安心する。4月から気合いを入れすぎて、凹みまくっていたのでようやく形が見えた感じ。そして、土屋礼央のオールナイトでも初採用。そこそこレベルは高めなので、初採用はびっくりした。ちなみに、このラジオへの投稿は年明け早々から行われていたので、約半年にしてようやく実を結んだ感じ。
 6月、天外ラヂオの放送終了が発表される。これはいかんとばかりに大量投稿を行うものの、全て玉砕。でも、いいラジオだったので番組自体は僕は満足。せめて、同じ人を何通も読むくらいなら僕も読んで欲しかったとは思いましたが。6月は初の月5採用を達成する。大塚愛のラジオに至っては2週連続採用という離れ業をやってのける。少なくとも上半期で一番のっていた時期だと思う。


 7月、テスト勉強、風邪などいろいろあったが、なんとか3をキープする。特に月末にへっぽこでの採用、そして、「山桜で一言劇場」でのサイン色紙、嬉しかった。サイン色紙は今でも部屋にあります。宝物ですよね。
 8月、実家に帰り再び青森県で投稿を開始する。しかし、実家で採用を聞く事ができたのは、より子のみ。他は東京にいる時に読まれるという皮肉さ。4採用を稼ぐものの、その後、投稿数と採用数は下降の一途をたどることとなる。
 9月、ほとんど投稿をしなかった。そのせいか、採用も2。でも、採用されただけありがたかった。投稿への気合いがほとんど見られず。山桜ベイベー、大塚愛の水曜のコーナーが改編のあおりで終わる。
 10月、ようやく本腰を入れ始めるものの、CBCへの参戦、新たな投稿番組への参入など投稿番組が不安定だったせいか、採用こそあれ、ネタは一切読まれず。遂に、僕の投稿生命も終わりだ、潮時だと本気で思い始める。
 11月、CBCラジオへの参戦を諦め、ニッポン放送にほぼ一極集中させる。すると、そのおかげか、笹川さんのオールナイトを筆頭に4番組7採用という過去最高記録を樹立。しかも、11月は採用されない週が無かったという初の記録を達成。投稿開始から1年とちょっと、ちょっとは知名度が上がったのかな?ノベルティとして手ぬぐいも頂き、投稿活動が充実した月でした。
 12月、11月の勢いそのままに先月から固定し続けた番組で多く読まれるようになる。特に今月は1番組3採用というありえない記録までも達成。投稿者として今年一年を飾るには余りある月となりました。


 今年はこんな感じで投稿を続けていきました。今の「週末作って、まとめて投稿」というパターンが定着化しているので、今後もそれを継続しつつ、来年は柔軟に対応できるように頑張っていきたいと思います。平日も考えるようにしないとな。
 来年も今以上にラジオ番組に貢献できるよう、頑張っていきます。これからもラジオで「青い森」が聞こえてきたら、「ああ、こいつ頑張ってるな」という程度でいいので気に留めて頂くと嬉しいです。