青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

青い森の教育ニュース

 先週はよいネタが無いだけです。これも気が向いたらということでよろしくお願いします。不定期シリーズです。
 さて、今日のニュースは・・・
文科相ゆとり世代に謝罪 茨城大付属中で
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050421-00000230-kyodo-soci

中山成彬文部科学相は21日、「スクールミーティング」で水戸市の茨城大教育学部付属小、中学校を訪問し、ゆとり教育について「導入は拙速すぎた」とゆとり世代の中学生に謝罪した。
 意見交換で中3の男子生徒が「教科内容が見直されることで(ゆとり世代の)僕たちの代だけ上や下の学年に劣ることになるので心配」と訴えると、中山文科相は「ゆとり教育の見直しで教科書のページ数も元に戻りつつある。皆さんには申し訳なく思う」と謝罪した。
 また「ゆとり教育の導入は拙速すぎた。授業数まで削減したことは反省点。自分の頭で考える主体性のある子どもを育てたい」などと述べた。

 ゆとり教育の終焉を高らかに宣言するかのような発言です。
 そもそも日本人にとって「ゆとり」の持つイメージとは何なのでしょうね?僕は「ゆとり=休み、暇」というイメージしかない。これが大半の人(児童や生徒)にあてはまるとすれば、ゆとり教育とはただの休みを増やした教育となる。この履き違えが教育内容の削減によってさらに如実に現れ、結果今年初旬に出た深刻な学力低下を招いたのだと思う。
 未だに世界の教育水準を「学力=ペーパーテスト」の点数で決めている以上、日本の教育水準はゆとり教育で低下した、といわざるを得ないであろう。そこで次の教育課程では教科書が従来並み、あるいは従来以上のものを「発展学習」という形で掲載している。さらには、私立のほとんどが、東京都の公立では約7割の学校が土曜日を全て、あるいは一部を出校日としている。
 反ゆとりがどこの学校でも起こりつつある。それは、「ゆとりは何もしないもの、勉強以外のことをするもの」として考えられている姿勢を取り崩すためのものとしてであろう。

 私は、今回の謝罪を素直に「良くぞ言った」と評価したい。しかし、だからといってかつての徹底した受験教育に小学校・中学校を巻き込むことには反対である。今の子どもは現在の教育の成果か、主体性のある子どもが多くなってきている。その芽をつぶしてはならない。教師は1から10まで教えるのではなく、1から3、5ぐらいまで教えたら残りを子どもたちに考えさせる、そういう授業でなければならない。

 また、私は土曜日を「ゆとり」という授業(かつてはあったね)、あるいは総合の授業として強制させるのもいいのではないか、と思う。ゆとりを子どもに一任するのでは、教育の場が失われ、子どもに満足な教育がなされないであろう。だからこそ、ゆとりを土曜日に据え、「学校環境のなかでのゆとり」を提唱すべきではないか、と思う。そのために教師は平日には見せない、人間としての教育を子どもに出来るし、平日は学問の教育もできる、教師とは子どもに教育を施すプロであるから、多様な面での教育がこれで可能となる。

 ゆとりの終焉=徹底した受動学習の復活ではなく、ゆとりの終焉=学問的にも人間的にも子どもに多くのことを教える新たな教育の可能性の起源と捉えて欲しいと私は思う。そのためには、せめて隔週の土曜学習の復活を私は提唱したい。

 なお、某日記に国の一元教育の廃止を唱えている論もありましたが、私はそれには反対かな。教育に地方格差は作ってはいけない。