青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

祭りは地域へ帰れるか①〜青森ねぶた〜

 ちなみに参考資料といたしましては、陸奥新報のウェブ版7月30日付「津軽発〜未来へ「第4部ねぷた・ねぶた」=5 青森ねぶた、地域密着型に回帰」を参照いたします。

東北三大火祭りに数えられる青森ねぶた祭。夜空を焦がす勇壮な武者人形ねぶたとリズミカルなはやし、熱気あふれるハネトの姿に魅(み)せられ、毎年全国から多くの観光客が詰め掛ける。

 しかし現在、祭り本番を彩る見事な大型ねぶたのほとんどは、企業が出しているものだ。祭りの出発点である地元町会では、資金集めの難しさなどから製作をやめたところも少なくない。
 さらに正装以外の装束で祭りを荒らす「カラスハネト」の出没により、運行にさまざまな規制が設けられた。
 ハネトがホイッスルを吹きながら自由に盛り上がることも禁止され、最近は「参加してもつまらない」とハネトの数自体が減りつつある。
 祭りの熱気が薄れることは、観光客の減少につながりかねない。市民の「祭り離れ」に歯止めを掛け、祭り本来の楽しさを取り戻すにはどうすればいいのか、関係者が模索を続けている。
 地元町会はまず、地域密着型の原点に回帰する活動を開始した。町会の子供会で製作し、町内運行する「子供ねぶた」に目を付け、2003年に合同運行を実施。市民の好評を得て、今年も四回目が開かれる。呼び掛け人の一人である「港町町会ねぶた」の実行委員長工藤誠一さん(59)は「初めて合同運行した日は、みんな“これがやりたかったんだ”と本当に感激した」と目を細める。
 小型ながら自分たちで紙張りしたねぶたを見せ合い、子供たちのおはやしを地域住民が応援する様子に、観光客のためではなく自分たちの祭りだと実感できたという。
 規制で硬直化し、市民の参加意識も薄れ始めている祭りの流れを変えようと、青森青年会議所ねぶた祭の新しい魅力を市民と考える公開ディスカッションを市内で開いた。
 ねぶた師や運行団体協議会の関係者らがパネリストとして参加し、立場や肩書を超え全員が「昔のねぶたを取り戻したい」を口をそろえた。
 ハネトがもっと自由に楽しめるように規制緩和できないか、観光客も飛び入り参加できる時間帯を設けられないか、参加者が一カ所に集まって思い切り盛り上がれる場所を確保できないか―。
 青森観光コンベンション協会の桜田稔専務理事は「ここまで至った規制を打ち破るには、市民全員の協力が必要。市民一人ひとりが“こうしよう”と大きな声を上げてほしい」と呼び掛ける。
 青森市民の挑戦は始まったばかりだ。

 このコラムのキーワードは「原点回帰」です。つまり、観光化によって失われた青森の祭りの本来のあり方を「地域」という視点をすえて述べていくという形式をとらせていただきます。まあ、こういうのは地理学とか社会学とかでやると、相当いい卒業論文が完成するんだろうけど、僕は歴史学なもんで…(泣)。


 第1回目は、観光化・行政主導が特に顕著な青森ねぶたから考えてみます。青森市は1960年代頃から、祭りの観光化と、ねぶた製作費用の高騰によって、その地域性を失ってしまった様相がありありと見える顕著な地域です。現に、ねぶたを追いかけている江戸川大学の阿南透氏が現代のねぶた運行の歴史、さらには、宗教性の希薄化した青森ねぶたとして青森ねぶたに問題点を投げかけていることは非常に興味深い事実だと思います。


 その阿南氏の青森ねぶたの現状を概ね肯定した上で、ねぶたの宗教性、原点を取り戻す上で「地域」に着目するという視点は、従来学問的にはなかなか言及されていないのが現状なのではないでしょうか。というわけで、「地域」と青森ねぶたの実態を考えてみます。


 陸奥新報を引用しましたが、ここには「地域ねぶたの合同運行」が実施されているということが書かれています。これは後にも述べますが、本来のねぶたは「地域単位による合同運行」が主流です。それが青森ねぶたはかなり制約を受け、まさに、プロとしての祭りを要求されつつあるのです。青森ねぶたでお囃子をしたい、と思ってもそこには非常に大きな制約と、派閥と、規制が設けられている事は、ねぶた好きの間では当たり前の話になっています。さらには、賞のために頑張っている団体もあります。某鉄道会社とか、某電気会社とか、某学園とか。そういうところであればあるほど、今度はハネトにも制限が加わってきます。きちんとした正装で、きちんとした跳ね方でっていうそんな感じです。だから、毎年「運行賞」って呼ばれる賞は、特定の団体しか取らないのです。


 僕はねぶたに賞をつけることを反対はしません。むしろ、賞をつけることには賛成の立場を取りたい。しかし、かつて澤田繁親氏も指摘した通りですが、審査制度と審査員にかなりの問題がある。ねぶたを整列のよさとか、ねぶたの映え方でしか見ることができないようなお偉いさんだけでなく、市民とか、観光客が審査に参加できる制度を設けるべきだと思います。さらに、審査もねぶたに比重がおかれていない。6対4ってどうよ?これじゃあ、ねぶた大賞も「ねぶた運行賞」でしかないわけです。


 まあ、そんな「魅せるねぶた」が祭りの地域性を奪っている事は想像に難くないと思います。そこで私は、ねぶたの前に一度だけ行った中心商店街での自由運行を提案したい。今年の前期のレポートで、YOSAKOIソーランとの関連で、青森ねぶたの地域性について自分の趣味の範囲でまとめたのだが、YOSAKOIソーランは、リオのカーニバルのように、祭りを地域に委託し、地域が祭りの主体となって実施していくという方式を採用している。これを青森ねぶたでも、応用すればいいと思う。商店街なら商店街を一日貸し出して、ねぶたを集めての自由運行、これが「地域に生きる青森ねぶた」のあり方だと思う。いわゆる「住み分け」を行うべきだと僕は提案したいと思います。観光と地域を両立させるには、その方法が一番なのではないでしょうか。


 まあ、自分の意見を証拠もなく、自分の主観性だけで述べてみました。感想をお待ちしています。ちなみにこれは一応mixiとも連動させますので、どちらでもいいです。メールなりコメントなりでご意見待ってます。この企画、次回は地元つがる市の「つがるネブタ祭り」について考えてみます。