青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

ねぶたは地域へ帰れるか③〜五所川原立佞武多〜

 昨日、実家から木造ねぶたの写真が届きました。届いた段ボールを持っていたときの僕の顔が他のどんなときよりもニコニコ顔だったかもしれません。正直、マニアっていうのはかなりの抵抗があるのですが、大学って何か一つ専門性を持った方がいいってよく聞くので、ねぶたっ子になりたいと思います。歴史の本とかは面倒がってほとんど読まないけど、ねぶたの本や雑誌は食い入るように見ますからね。ああ、くる分野間違えたかしら。

 まあ、愚痴はさておいて、3回目です。今日は五所川原市で行われている立佞武多祭りについて考えてみたいと思います。ちなみにこれも陸奥新報に参考資料があったので引用しておきます。津軽発〜未来へ「第4部ねぷた・ねぶた」=6・完 立佞武多 祭りへ愛情と敬意です。

1996年7月、80年ぶりに五所川原市立佞武多が復元された。「むちゃなことをやったものだ」。立佞武多復元の会で実行委員長を務めた成田博昭さん(64)は笑って当時を振り返る。残されたわずかな資料を基に有志が結束し、“五所川原魂”を見せた瞬間だった。
 この復元がきっかけとなり、2年後の98年には市が支援。同年以来、新作立佞武多を毎年製作し、今は夏祭り「五所川原立佞武多」として定着した。2004年4月に開館した立佞武多の館も、今月23日で有料入館者が40万人を突破し、知名度の高まりをうかがわせる。
 本県を代表する祭りとなった立佞武多だが、関係者の間では課題を指摘する声が出ている。
 一つは、立佞武多のメジャー化によって「五所川原伝統のねぷたの趣が薄れたのでは」との指摘。立佞武多運行が始まる前年の1997年まで、人形ねぷたなどが夏祭りの一部として運行されていた。立佞武多復元に携わった三振り会の松江諭会長(50)らは「今は昼運行の『なぬか日』がない。最終日の“すげね(寂しい)”雰囲気がないのが寂しい」と語る。
 また「大型立佞武多だけではなく、祭りに参加する他の人形ねぷたにも注目し、その対比を楽しんでほしい。(参加団体)全体が切磋琢磨(せっさたくま)し、より良い祭りをつくる環境をはぐくみたい」という。
 近年目立ってきた「カラスハネト」まがいの参加者たちの問題もある。松江会長は「見苦しい祭りでは困る。駄目なものは駄目とはっきりさせなければ」と語気を強める。これらの提言の根底には、ねぷた祭りに対して愛情と敬意を持ってほしいとの思いがある。
 一方、成田さんはねぷたそのものに注文を付ける。「例えば、青森ねぶたの顔の迫力。五所川原立佞武多にもあんな感じが欲しいね」。常により良いねぷたを作っていこうという気持ちを込めた製作者たちへの激励だ。自らも来年の祭りへの参加を構想しており、「新しいことに挑戦したい」と意欲を示す。
 五所川原市の大きな観光資源となった立佞武多。復元から10年がたち、祭りの在り方を、いま一度深く考えようという機運が静かにわいているようだ。「立佞武多復元は、人と人のつながりの結果」と成田さんは言う。「五所川原立佞武多」の長い歴史と伝統を築いていくためにも、人々のつながり、ねぷた祭りへの愛情と敬意が大切だと、五所川原の“祭り人”たちは思っている。

 五所川原立佞武多は祭りとしての定着したのは8年前、立佞武多も復活して10年とまだまだ歴史の浅い祭りです。最近、この立佞武多が祭りの中でいかなる位置におかれているか、というテーマが僕の主な研究対象となっています(もちろん趣味の範囲でですけど)。この立佞武多を素材とした論文というのはまだまだ少ないです。なので、やる価値はあると思いますけど。
 私見を述べさせていただくと、立佞武多はよくいえば、「観光と地域が一体となった祭り」ということができるでしょう。有料観覧席や立佞武多の館など市がバックアップをしていながらも、市の3台の立佞武多だけでなく、五所川原の町内会や学校など、多くの団体が立佞武多に参加しています。その点においては、立派な観光資源として全国にアピールしているだけでなく、合同運行に地域を入れている点において、大きな評価ができると思います。


 しかし一方で、この記事にも書かれていますが、観光化は必ずしも地域性を残存させたわけではありません。五所川原立佞武多以前の五所川原はネプタを木造町から買ったりしての合同運行、それこそ地域にあるねぶた・ねぷたと変わらない祭りでした。これを五所川原市はある意味でハレモノにさわるかのように隠している気が僕にはします。そして、立佞武多によって旧来の町内会からの出陣は激減。唯一残っていた下平井町も今年は不参加ということで、町内からの出陣はなくなってしまいました(三振り会という私的団体や田町・栄町のように立佞武多へ変更した団体はありますけど)。その意味では、青森市と何ら変わらない問題を反映してしまっていると思います。


 また、観光化は一方で、わげもの(若者)の暴走を加速させています。去年、4年ぶりぐらいに立佞武多を見たのですが(毎年皆勤で参加して全部は見れなかったので)、立佞武多の後ろに、もうカラスハネトのようなわげもの(立佞武多には衣装の規制がないので、カラスハネトのような黒い衣装も認められてはいるので、カラスハネトとは言えないのですが)が まあ、ものすごい勢いではじけまくっていました。僕の分析では青森はハネトの規制が多いので、規制の少なく、かつ盛り上がれる五所川原に流れているのではないかと思います。そういう意味では、今年は規制するかしないかの瀬戸際、まさに、ここ10年前ぐらいの青森市の問題をそっくりそのまま受け継いでしまっているという問題点があります。


 観光化によって祭りがその地域性を失っているのは何も青森市だけではなく、五所川原市もその類に入っているのです。これを防ぐためには、やはり規制しかないのでしょうか。そうなれば、青森市の二の舞になってしまうことは明白だと思います。とにかく観光客が怪我をしないことだけを祈りたいと思います。


 それと明確にいうと、やっぱり五所川原も祭り参加の規制がかなりかかってきていると思います。前なんてひゅっと入って、わーわー騒げたんですけど、今はそんな雰囲気はないですからね。観光化は規制を誘引させてしまっている悲しい現実があるのでしょう。


 祭りは地域へ帰れるか、次回は学校教育における祭りの役割について考えてみたいと思います。