青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

祭りは地域へ帰れるか④〜学校教育とねぶた〜

 いよいよ今日から五所川原立佞武多祭りが開幕します。さしあたって今日は3年生が運行かあ。いいなあ。お囃子部隊に逢いたいなあ。
 はい、ライブ中継で我慢したいと思います。来年は絶対に行きます。卒論とか関係なく行きます。
 さてそんなこんなで四回目になりました。今日は学校教育における祭りの役割について考えてみたいと思います。ある意味大学院ではこういう研究をしてみたいなあと朧ながら思っているので。で、今回も陸奥新報を引用します。津軽発〜未来へ「第4部 ねぷた・ねぶた」=2 弘高ねぷた 熱い祭り魂脈々と (7月27日 陸奥新報)です。

毎年弘前ねぷたまつりを前に沿道をにぎわせ、景気付けをする弘高ねぷた弘前高校(桜田泰弘校長)が1953年、創立70周年を記念して始め、半世紀を経た。沿道に響く威勢のよい掛け声や、若い感性が光る手作りの組ねぷたを楽しみにするファンも多い。

 今年も各学級の組ねぷた21台が出陣。校内に設けられた特設小屋で約2週間かけ、土台から骨組み、配線、絵までをすべて生徒が手掛けた。
 そのねぷた弘前市で多数を占める扇ねぷたではなく、より作業が複雑になる組ねぷた
 1990年から昨年まで、弘前市役所の組ねぷた製作責任者を務めた市企画部秘書課長補佐の桜田宏さん(47)も、同校の出身者だ。
 幼少のころ組ねぷたに魅了され、ねぷたを作りたいと同校に入学、青森市のねぶた小屋に通って技を磨いた。「ねぷた製作は時間がなく大変だが、クラス全員で作ってこそ弘高ねぷた。うまい下手じゃない」と話す。
 大学時代も同校OBらでねぷた集団を結成し、弘前ねぷたに参加。手作りの組ねぷた、学らんにたすき姿でダンスを踊るなど型破りな運行を披露した。
 「祭りだからエネルギーを発散させ、短い夏を謳歌(おうか)しないと。観客も元気な津軽衆を見て、暑い夏を乗り切るのが本来のねぷたまつり」と、培った“祭り魂”を説明する。
 今年、生徒自治会執行委員長を務めた3年の中田和道君も「弘高ねぷたは人形で、みんなで跳ねたりして元気。青森に夏を呼ぶんです」と、熱い魂は脈々と受け継がれている。
 今年は弘大医学部付属病院小児科病棟の子供たちに、金魚ねぷた千羽鶴を贈った。運行では病棟から見える場所で隊列を止めるなどし、新たな試みを加えている。
 生徒たちは一致団結し一定の短い時間で、製作工程も複雑な組ねぷたにあえて挑戦する。ねぷた小屋では、1年生が技を学べるよう2、3年の間に1年生の小屋が設置され、OBたちが指南に訪れる。逆にOBの小屋を訪れ、技を盗もうとする生徒もいる。
 桜田さんは「弘前ねぷたは地域の人が資金を集めて作り、運行する地域の伝統文化」と位置付ける。その意味からも、生徒が団結して製作し運行する弘高ねぷたを「学力だけでなく、人間が育つ」と評価。
 そして「ほかの高校でも取り入れればいいのでは」と、ねぷたによる人づくりの輪が広がることを期待する。

 かつて「組ねぷた」を作りたい、学校現場でねぶた(ねぷた)を味わいたい、と思ったら弘前高校でした。しかし、現在では弘前高校に限らず、多くの高校が地域の祭りに参加しています。五所川原高校、五所川原農林高校、五所川原工業高校が立佞武多を自らで製作し、運行に参加していることを筆頭に、木造高校では馬ねぶたを製作して「馬市まつり」に参加したり、鶴田高校も、地元の「つるたまつり」に組ねぶたを製作し、毎年参加しています。


 このように、高校を中心にした地域のお祭りへの参加が加速化しているのには、2002年度から導入された「総合的な学習の時間」が大きく関与していると思います。教科の枠にとらわれない学習は、まさに祭りを学校現場で取りあげるにはふさわしい授業枠です。ここから祭りに惹き付けられて行く人が増えていくんだと思います。


 以下、ここからは私の経験と結びつけて考えたいと思います。
 私の通っていた高校は、総合的な学習の時間を行う以前から、立佞武多への参加を行っていました。立佞武多の製作スタッフに技術指導を受けながら、あくまでも生徒が主体となって立佞武多を作るのです。高校の立佞武多とはいえ、その高さは10m、人形だけでも3〜4mはあります。そして、今ではこの立佞武多が母校の伝統となっており、今年は同好会が船橋遠征を行うなど、その広がりを見せつつあります。また、製作やお囃子だけでなく、生徒が踊り子となって立佞武多の囃子に合わせて踊るのも母校の特色だと思います。その映像は毎年テレビなどにも放映されています。
 進学校とはいえ、祭りが嫌いな人はほとんどいません。みんなくたくたになるだけ騒いで、踊って、汗かいて、祭りに参加しているのです。そんな祭りにとりつかれた一人として言わせていただくと、やっぱり祭りはすばらしいということであり、これは伝えていかなくてはならないということでしょうか。


 しかし、今僕が考えているのは「祭りは学校現場で強制してもいいのか」ということです。どんなことであれ、強制されれば反発し、逆に嫌いになってしまう人だっていると思います。もちろん、総合的な学習の時間が全て祭りのために費やされることについては、僕も反対です。本来学問にとらわれない実践的で多用な知を吸収する場ですから。でも、任意であれ、希望制であれ、学校現場に祭りを持ち込む事は、地域を考える視点としては必要なことだと僕は思っています。僕は教師になったら、絶対にねぶたを交えた授業はしたいなとも思っていますし。社会科と関わらせていえば、近年では中学・高校の歴史の導入部分では「地域の歴史を調べる」ことや「ある特定の事象(絵画とか)について通史的に調査する」などといった段階的歴史観を脱却するようなカリキュラムが組まれています。このように、社会科においてはとりわけ「地域をみる目を養う」という視点が求められているのだと僕は思います。例え、将来東京で生計を立てようとしていても、いやがうえにも「地域」概念は大きくつきまとってきます。僕自身、今社会科で必要なキーワードが「地域」だと思っています。とりわけ祭りは「地域」に一番根ざしている事象だと思います。それを授業でどう活かしていくか、これは、自分の課題だと思います。


 今までで一番論理的ではない文章が完成しました。自分の体験が入ってくるので、プライバシーの問題とかもありますので、そこはご容赦いただきたい。とにかく、学校現場における祭り教育は、地域の祭りへ人材を再生産するという観点から、現在では必要不可欠なものであると私は思います。祭りは若い人へ継承されていかなくてはなりません。若い人が祭りに興味を持てるような祭り環境、さらには学校現場にしていくことも必要なのではないかと思います。そういう意味では、今日から行われる五所川原立佞武多は祭りを若い人へ継承するという意味では、非常に大きな意味のある祭りだと思います。


 祭りは地域へ帰れるか、多分次回で最終回です。最終回は関東のねぶたについて考えてみたいと思います。