青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

教育格差に物申す

 明日早いけど、せっかくだからこれ書いて寝ようと思う。昨日一昨日と教育に関するテレビをいくらか見た。一昨日見たやつでは、主に学力低下がテーマになっていて各国の先進的な学力向上策と、日本のダメっぷりを皮肉るかのような放送だったけど、でも、その中にあって子どもに考えさせる教育が大事なんだっていうことを実例を挙げて示していた。
 だけど、だけどだよ、これは都会で、しかも塾環境や、先生の環境が完全に揃っているからこそできるのであって、これを地方にそのまま応用できるか、と言ったら僕は絶対にできないと思う。100%無理だ。
 この3週間、おそらく将来は有名大学あたりに行って、上に立つような附属の生徒を相手に授業をしたけど、あれだけ質の高い生徒で、教師たちがあれだけ質の高いものが提供できる環境であれば、そりゃ教育格差だって起こるよ、っていうのが僕の感想。
 今日は学生ボランティアで実習でやった部分と同じ範囲の歴史の授業を参観させてもらったけど、先生自身も「現場に入ると、教材研究に時間が持てない」とおっしゃっていた。今行っているところは、正直公立の中でもすごく安定しているところ。それでも時間が持てないって言うのだから、荒れているところだと尚更だろう。
 しかも東京にいて思うこと、それはいろんな人を呼びやすい環境にあること。だから、総合学習をやっても、その道の凄い人を青森にいるよりは簡単に呼べるだろう。やっぱり有名な人に触れる、その先進のものに触れるだけでも、生徒の知的探究心というのは一気に駆り立てられると思う。


 だから関東に来て、実際に学生ボランティアや教育実習をして強く感じた事は、関東の子どもはすごく恵まれているっていうことかな。いざとなったら、有名な塾や個別指導の塾に行けばいいわけだし、塾を見据えて教師もある程度は質の高い授業が提供できるだろうし。そう考えると、田舎者がいかに教育の面で、悲しい扱いを受けているか、って思うと何だか悔しい気がする。総合的な学習の時間の採用は、生徒の知的探究心を駆り立てることを可能にした一方で、教師裁量や環境に左右され、教育格差を拡大させてしまったのかなと思う。


 だからこそ、地方教育の充足をしていかなくてはならないと思う。教育実習ではお客さんだからそれは無理だけど、将来、地元で教えることになったら、生徒を東京へ送り出しても恥ずかしくないような生徒にしたいと強く思う。それが社会科なら可能なのではないかなって思う。だって、社会科ってある意味、人生の科目でもあるのだから。