青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 国語かよ。これだったら、落ちた方がマシだったよ。あ、そうか、入力しないでばっくれればいいのか。でも、金欲しいからやろうと思います。完全にやる気なし。
 最近ちょっと自分にとって不機嫌なことばかりが続く。神経が過敏なのかしら。
 堂本剛 堂本剛の正直しんどい状態です。


 今日は朝日新聞教育再生会議の第1次原案がそのまま載ってて、それをネタにしてあれこれ細かく突っ込んでやろうと思ったんだけど、ネットには載ってないのね。ったく、これだからネット版は嫌いなんだよ。
 まあ、いいです。記憶している範囲でやります。以下、過激なことを承知の上で見てください。
 えっと、まずは小学校に算数と理科の専門教師を配属しようって話。うん、これ見た瞬間、スプートニクショックの再来かと思いましたよ。今更何を言い出すんだ、って思いました。特に読解力と理数系を重視って…。50年代〜60年代のアメリカの教育制度そのままじゃん。歴史は繰り返すとはよく言ったもんだけど、そこまで日本の教育は停滞した、ととらえていいんだね。
 これは逆を言うと、もし教師になりたいんだったら、絶対理数系が有利だっていうことの表れだからね。楽して教師になりたかったら、理数系に行くことだね。


 次に、社会人をどんどん登用して、魅力ある学校づくりをしよう(自己流解釈)って話。これもまたひどい話だよね。教師が信頼されてないんだもの。いわゆる有識者の上から目線だよね。百姓一揆でも起こしてやろうかwみたいな。


 後はだいたいいいかな、って思ったけど、上2つはひどいね。もし教育再生会議が法的拘束力を持ったら、おっかない改革だよな。「地域と家庭が連携」の文言以外は、やってることが非常に復古主義的だしね。


 小泉総理は「民間でできることは、民間に」みたいなキャッチフレーズで郵政民営化を柱にした大規模な財政構造改革を行ったけど、安倍総理は多分「教育に競争原理を」みたいなキャッチフレーズで教育再生改革をしようとでも思ってるんでしょうね。でも、教育って競争原理を導入していいものなの?っていうのが僕の正直な考え。もともと教育現場ほど社会主義が導入されている社会はないと思う。建前では「みんな平等に」とか言っておきながら、今やってることはそれと大きく相反していることだからね。それとも何か、また受験戦争みたいにみんな競争でもしろってか、落ちこぼれを拡大再生産しろってか。


 だいたい一部の人間が大ばか者だからって、教師みんなが大ばか者だという論理にはならないのはないか。それだから社会人をどんどん登用して、学校を活性化させよう、って教師は学問専門の人間じゃない、生き方を教える人間でもあるんです。学問専門だったらその辺の塾の先生に教員免許を無条件で与えて、そいつに授業させればいいんだよ、で、学校経営は経営に長けたプロのコンサルティングでも呼んで、それで学校運営すればいいんだよ、これが理想の学校なんだろ。安倍総理が目指す学校って究極のところそういう学校なんでしょ。教師という職業に全てを押し付けるのではなくて、いわゆる株式会社でいうところの「所有と経営の分離」を目指した改革なんでしょ?


 簡単にいえば、教師なんていらないんでしょ?教師なんていう個の人間が信じられないんでしょ?教師もナメられたもんだよ。教師目指す人間として悔しいよ、侮辱だよ。それで将来公民の授業で、安倍総理がしたことは、教育を根本から改革したことです、って教えなきゃいけない皮肉さね。はい、ここテストに出ますよ、って言わなきゃいけない悔しさね。


 …言い過ぎました。すいません。心から謝ります。今、目の前で様々な問題を抱えて学校は危機に瀕しています。だからこそ、学校を変えていかなくてはいけないことは事実だと思います。外側目線だけど。でも、外側の人間が、学校をどうこうするっていうのはどうかな、っていうことを僕は言いたいんです。有識者だけじゃなくて、「所有と経営を分離」させるのではなくて、教師の意見もちゃんと聞いて欲しいんです。月並みの意見だけど、大事なのは「現場にいる人の声を聞いて欲しい」、「それを目指している人の意見を聞いてほしい」ということです。知識はないけど、教育を思う気持ちは人よりは強いと自負しています。だからこそ、何とかしてほしいと切に思う今日この頃です。