青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 で、山崎真実イベの待ち時間に、斉藤孝の『教育力』っていう新書を読んでた。まだ半分ぐらいだけど、言ってる事は、教育力をつけるためには、教える側が勉強し、教わる側と一緒に学んでいく姿勢が大事だっていう感じかな。そこは大いに共感した。自分も勉強は「楽しく」なければいけないと思うから。でもやっぱり一部は納得できない部分があった。
 例えば、適塾とか松下村塾を取りあげて塾教育を肯定し、またその背後に「学ぶ」という視点から、教育バウチャー制度を肯定しているかのように書いていること。これはいかがなものか、と思った。そりゃ東京都では既に公立でさえ学校選択、学区制撤廃は進んで、統廃合の動きが加速している。それは教師たちが危機感をもって独自のカリキュラムや方針を打ち出させることを可能にはしたけど、バウチャーは一方では教育格差を拡大しかねない問題をはらんでいる。教育にも経済界のように競争原理を導入すれば、確かに危機感を抱き、積極的に、よりよい教育を目指そうとする機運は高まるけど、一方で競争に負けた地区の教育はすさみ、それと共に地区そのものもすさんでしまう可能性をはらんでいる。究極的にはだけど。
 それともう一つは、やっぱり未履修の問題ね。自分は未履修体験者だから、メディアが「そりゃ学びの放棄だろ」とか言うと、腹が立つのね。地方教育と中央の教育は実態が違うんだよ、って言いたくなる。確かに生徒の学びの範囲を狭めていることは紛れもない事実、学びの放棄と言われても仕方がない。でも、格差の是正のために地方の進学校は塾の少ない中、頑張ってるんだよ。塾教育の学びに注目するのはいいけれど、塾がない、少ない地域は、教師一人一人の負担が大きい。その中で確実な、質の高い教育をする、というのは中央に比べたら難しいのは事実なのではないかと思う。
 後は、目的意識をもって学ぶ、これは確かに必要。でもこんな目的もあるよね。「テストでいい点数を取るために勉強する」、「センター試験で多くの点数を稼ぐために勉強する」。これって学びかなあ?少なくとも自分が高校生のときは、徹底した合理主義で、それこそ受験や試験に関係のない知識はできるだけ排除して、できるだけ多くをつめこむことをしたよ。まあ、それで頭打ちになっていることは事実なんだけどね。


 でも、テストが世の中を決めていることは紛れもない事実。その中で学びの本質を追究させること、これが教える側にとって必要なことなんだろうね。う〜ん、難しい。
 で、この本は斉藤先生らしい、読みやすく、分かりやすく、それでいて多くの示唆を富んだ本だと思うので、何かを「教える」側の人にはおすすめの一冊だと思います。

教育力 (岩波新書)

教育力 (岩波新書)