青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 4月28日、歴史地理教育という雑誌でおなじみの歴史教育者協議会の講演を聞きにいく。安井先生っていうすごい先生(らしい)。まあ、簡単にいうと子どもの立場にたった授業作りを心がける先生。子どもが素朴に思う疑問を拾い上げて、それを授業に反映させる、っていう感じかな。やっぱ自分は東の人間なので、こういう素朴な疑問をつきつめて共感的に納得しあう歴史の授業はすごく好き。だからとても参考になった。
 なので思わず先生の本を買ってしまった。中には何が書いてあるか分からないけど、まあ、実習のための保険みたいな感じさ。


 4月29日、昭和の日は何事もなく過ぎ去った。深夜に小学校の先生の3年間を追ったテレビが放送されていたので見る。やっぱ授業が一番大事なんだよなあ、ってつくづく思った。それから小学校だからというわけではないが、改めて言葉の力のすごさというか、伝えたいメッセージのこめ方というか、そういうのがすごく大事なのだっていうことも感じた。


 4月30日、書庫で適当に青森県史を見ていたらそれで日が暮れちゃったって感じ。結局問題意識すら見つからず。ただ、安藤氏が戦国期にいやに鷹とか鮒とかを信長や信虎に献上していた史料は見ていて面白かったけど。まあ、論文にするほどでもないな。


 5月1日、最近は朝起きて実習のために古代史の本を読んで、パソコンやったらもうお昼。それで採用試験のやつを軽くやって、論文を書いてたら論文が書けなくてイライラしてたらもう17時。慌てて準備して、ゼミに参加する。今日分かった事は、武士と兵は違うのだっていうことと、東が構成主義で、西が科学主義だということ。それと、探究学習において授業が崩壊したら、それこそ成功なのだという論理が一方では成立するっていうことかな。
 しかし、歩調を合わせては見たものの、4年のくせに学問の「が」の字も知らない自分がそこにいたことを痛感した。批判を享受出来るような心の広い人間にならないとな。それで負けて逃げたら学問も終わりだし、ひいては社会でも生きることに苦しんでしまうだろうし。


 悩んでいる時ほどいろいろ考えるね。やっぱ学問にせよ何にせよ切実性が人間を悩まして考えさせるのだっていうことを大いに感じた。だからこそこれまでの3年間は本当にもったいないという一言に尽きる。やったことを今更後悔しても仕方がないからあれだけど、自分はこの大学で学問というものを学んでこなかったんだと強く思った。それはただの独りよがりでしかなかったんだね。


 まあ黙っても黙ってなくてもあと1年は平等にあるから、それで何とかもがいてみたいと思います。