青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 高校の授業は科学主義に基づく方法である。
 まあ、要するに結論からその因果関係を分析する手法ですよ。結論ありきの授業ってこと。でもこの手法は、結局結論が見えているので、その結論に持っていくまで相手を囲い込む、つまり教え込みにつながってしまうという欠点もある。
 この教え込みをなくすためにはどうしたらよいか、やっぱ体験的な授業じゃないかな。でも、古代史の文献を読む限り僕が体験的に使える、って思ったのは、蘇を食べると、大化の改新でホッケーの柄を持っていくのと2つぐらいしか思い浮かばない。まあ、ここの範囲になるかも微妙だけどね。
 でも体験的な授業も授業で問題点があって、「ふ〜ん、それで?」みたいな感じになってしまうと結局それが徒労に終わってしまったりする。
 じゃあ、現実と対比させる方法が一番なのではないの?例えば、奈良時代の貴族たちは朝は早く起きて、6時には出社、午前中で仕事は終わり。午後はアフター5みたいなもんで残業したり、市場行って買い物したり、飲んだり。で、日が暮れたらもう一歩たりとも外に出ちゃいけない、そんな生活なんだよ。ほら現代と違うよね…、これもこれで問題があったりなかったりなんだよなあ。


 そうか、知識を伝えているだけだからダメなのか、じゃあ、気づいたことは何?って聞けばいいのか。でも結局はこれも囲いこみだよなあ。
 ただ公立高校の場合はそれに受験指導が入ってくるから、なかなかどうして科学主義、もっといえば系統主義的な授業になっちゃうんだよなあ。
 そこに「なぜ?」を最低5個は入れたいよなあ。高校の授業って正直指名されるとうざったいけど、でも、うざったくないと授業って楽しくないしね。どうせ聞くなら、人それぞれ意見が違うような発問をしたい。例えば「蘇我馬子聖徳太子って仲良かったの?」とかね。でもあんまり聞きすぎると、それは単なる自己認識で完結してしまって、普遍性にはならないし、これじゃ国語だし。う〜ん、難しい。


 まだ全部読んでないから何とも言えないけど、いくつか古代史で使えそうなところはピックアップ中。上の2つの体験の他には、大宝律令完成までの道のり、とかね。あと、自分的にツボだったのは、トツギーノとの融合ね。これは自分が絵下手だから多分やらないけど、一度はやってみたい。「アスカーノ」ってさ。「遣隋使派遣しーの」「小野妹子国書渡しーの」「煬帝怒りーの」「アスカーノ」みたいな。


 まあ、こんなバカなことばっかり考えている自分も今月は再び教育実習生なわけでして…。