青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

応用実習で感じたこと

 ここからは真面目に応用実習で感じたことを書きたいと思います。長くなります。

 まず、うちは地方の進学校、地方の進学校というのは都市部とは違い、塾がないため教科に関する最低限度の知識を体系的に習得させることをまず第一に要求される。これは簡単に言えば「授業=塾」ってことと同義だと思う。
 もちろん僕自身そういった環境で育ってきた人間なので、先生はテストに出る知識さえ分かりやすく教えてくれればいい、みたいな偏屈な高校生だった。現に自分が高校生の時に来た実習生の授業は、今でも少し記憶には残っているが、つまらなくて別なことをしていた気がする。


 でも、日本史はそれだけではない。社会科教育の観点からすれば、社会科は社会で生きるための資質(公民的資質)を養うことを第一目標にしている。つまり、日本史を理解させるだけでなく、それを使って「考えさせる」授業が必要だと感じた。というか、考えさせなければ面白くない、そう直感で悟った。だからこそ1時間目は郡評論争を使った。でも、生徒のアンケートにも書かれた、「郡評論争は分からなかった」って。確かに1時間目は失敗だったかもしれない。


 それでも2時間目の授業は「歴史で考えさせる」授業ができたと思う。中大兄皇子を悪人として描き出す(謀反の疑いにより、蘇我石川麻呂を自殺に追い込んだり、有間皇子を処刑したり、果ては孝徳天皇から妻を奪う)ことで、生徒が今まで持っていた中大兄皇子像(蘇我氏を倒した有能な政治家)に疑問符を植え付け、そこから中央集権体制とはいかに難しいものだったのかを伝えた。生徒のアンケートを見ても、僕の話を聞いてイメージが変わった人、それでも「やむをえなかったのでは?」としてイメージが変わらなかった人、いろいろあって僕的にはすごく面白かった。この2時間目が僕に高校の日本史を教えることに自信を与えてくれた。


 そんなこんなで授業も残り3時間となった。このまま奈良時代を突っ走っていけば、つまらないことをただただ羅列するだけだと思い、思い切って奈良時代の中で伝えたい部分だけを伝えることにした。そして、最後は専門的な知識というよりは、附属中学校で学習した「生徒に直感的に学ばせる」という方法が本能的に生きた。そう、自分お得意の実物作戦だ。稲荷山古墳出土の鉄剣のペーパークラフトに始まり、興福寺仏頭のクリアファイル、地元のジャスコのガチャガチャでゲットした和同開珎のレプリカ、絹、布、粟…。使えるもの、あるものはとにかく使った。そういえば附属中の先生が言っていた「常に学校で使えるものを探し、学校で使えると思ったものは、出費を惜しまずとにかく買うべきだ」と。その経験がこの応用実習でも生きた形だ。
 結果、アンケートを見ても実物は高校生にもなかなかの評判だった。



 でも最後はやっぱりハートでぶつかっていったと思う。生徒にこれだけは伝えたい、生徒に分かってもらいたい、そして何より日本史は楽しいものなんだ、そんな気持ちをこめて常に完成度の高い授業を目指した。アンケートには「先生のニコニコしながら日本史を教えてる姿がよかった」って書いていた生徒もいた。これは基礎実習の最後でも学んだことだけど、誠心誠意ぶつかっていけば、生徒はそれを感じ取る。自分の熱意と熱心さがよかったと講評してくださった先生もいた。



 そんなこんなで長く書きましたが、自分はこの7時間の実習で「知識を教え、歴史で考えさせ、そして楽しく授業をする」という自分の中では、高等学校における日本史の最高形態の授業ができたと思っています。それができたのはひとえに先生、実習生、生徒のおかげだと思っています。本当に素敵な環境で日本史を教えることができました。


 ただ、研究授業を見に来てくれたホームルーム担任の先生に言われました。これがスタートラインだと思え、これがゴール、完成形だったらがっかりだ、と。これをゴールとせず、新たなスタートだと思ってさらなる高みを目指していきたいと思いました。


 そして自分は夢に向かって初志貫徹、もっともっと邁進して絶対教師になってやるという気持ちを強くさせてくれた実習でした。