青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 夜の社会科教育のゼミで、ちょっとだけ実習中にやった研究授業のことを紹介したら、某W先生が「よく教材研究されている授業である」「面白い授業だ」と前置きした上で、


 「考え方が古い」「農民の考えの部分は2つの考えを示して、価値注入を避けているように見せかけて結局価値注入だ」


 という2つの批判をいただきました。まあ、あの先生は褒めてはくれないのでそんなもんだろなって思ってましたし、その部分は自分も納得していたのでいいのですが。


 そんな話の流れで、こういう奈良時代の知識を教えてくれました。日本は道鏡事件がなかったら新羅と戦争する気だったらしく、本気で兵を集めようとしていた事、戸籍・計帳には究極のところ兵を集める目的があったこと、そしてここが一番納得した部分なんですが、計帳のごまかし具合を役人たちは「ああ、そうか」とそのまま通り過ぎただろうか。正直なところ、そこに癒着関係があったのではないか、じゃあ、何をもって癒着していたの?もし農民が賄賂を送っていたとすれば、農民の生活は必ずしも貧しいとはいえないんじゃないの?


 どうやらこの癒着説が今の奈良時代の研究でクローズアップされつつあるみたいです。ちくしょー、もう少し早く知っていたら、ここを使って授業ができたかもしれないのに。
 

 社会科教育で有名な安井俊夫先生は、奈良時代は農民の貧しさを生徒に共感的に理解させることが大事だと本に書いていた。でも、それは価値注入だ、と指導教諭の先生にも言われたし、自分も確かにそう思った。そこで模索はしたけど、結局価値注入であることに変わりはない、と自分でも思った。現にアンケートを見ても、生徒が奈良時代の農民=貧しい、という敗北史観を拭い去れていなかったのは紛れもない事実だったし。そこを揺さぶる事ができなかったのは自分の反省点だと思う。
 でも、計帳の偽籍=農民と役人の癒着=農民は貧しくない!の論理も結局のところ、生徒の貧農史観を拭い去る事ができるかといえば、それも無理だと思う。もちろん、それを教え込む事事態価値注入だしね。そうすると、行き着く先は共感的理解の安井先生か、実証主義的なものに走って生徒に考えさせる加藤公明先生のような授業のどちらかを選択しなきゃいけないと思う。まあ、自分だったら間違いなく加藤先生の授業を選ぶけどね。


 そういや6月30日に加藤公明先生が学芸大学にいらっしゃるらしい。やばい、絶対に見に行こう。