青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 今日のゼミはぶっちゃけ先生の思っていることを延々語って終わり、って感じだったね。まあ、自分はまだまだ社会科教育の知識が不足しているから、塾的な方がありがたいんだよね。でも、うちの大学にいる以上、先生の考え方は極めてマイノリティだし、大学の思想を否定している考え方だから、その辺は慎重に捉えていかないといけないんだけどね。
 でも先生の言わんとすることは、中等教育の人間からするとすごく納得が行く。ただ、初等教育からすると、「?」って感じなんだろうね。でも、初等教育における社会科も単なる「遊び」になったり、「偶然性の強い授業」になったりしたら終わりだろうな、っていうのは自分にもある。
 自分は少なくとも「行き当たりばったりの授業」っていうのはとてもじゃないけどできないし、自分としてもそれは嫌い。だからある程度はネタを仕込んでいって、からくりを作って、子どもが不思議そうな(楽しそうな)顔をしてくれれば、それが社会科になるんじゃないの、って思っている口なんで。
 昨日も語ったけど、小学校の社会科って変なこだわりが多いんだよね。そのこだわりが社会で役に立つならいいけどさ。そのこだわりが悪い方向に向かっていったときの小学校社会科のまあ、性質の悪いこと、悪いこと。そこら辺は要注意だわね。



 あとどうでもいいけど、自分は学問ができないからこの大学の社会科教育学に逃げるんですよ。ここに逃げ込んだって、先生が脇で批判してくれたら、それですごく勉強になるし。
 今日先生が語っていた「なぜ、小学生でも気づくことが気づかなくなるんだろうね」の自分なりの答えとしては、勉強と学問の違いだと思う。勉強って英語にすると、learn to、つまり与えられるもの、学問って英語にするとstudy、つまり自分から学ぶもの、その違いだと思う。今の学生は自分も含め、勉強は出来るけど、学問ができる人が少ないんだと思うし、塾とか学校が学問をさせない環境にあるからだと思う。そしてそんな学生は大学に来ても取る授業は演習を避けて講義形式のものばかり。だって単位が楽に取れるしね。そして、うちの大学の悪いところはカリキュラム上演習系の授業が極めて少ないこと。で、逆に教養系は演習の授業が教育系に比べて断然多いから、大学に来て逆転しちゃうんだと思う。


 だから自分は自主ゼミにも単位認定をさせるべきだと思う。ぶっちゃけそうでもしないと今の学生は勉強しないだろうし。義務感を伴ったものは学問とは言えないだろうけど、そうでもしないと今の学生は学問に触れないと思う。


 で、学問も触れずに外に出るもんだから、街にフィールドワークに行っても先生は気づかない。だって今まで自分から得ようとしなかったんだもん。だから子どもがそこに気づいたら大いに感心する。そしてそれがさも子どもから与えられたかのように武勇伝として語りだす、そういうからくりなのではないですか、って思ったね。今。



 まあ、こういうのを瞬時に言えればいいんだろうけど、自分の思考回路はきちんと文章化して整理しないと動かない人間なもんで。だから瞬時には言えない。ここが自分のネックだと自覚しております。