青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 もうひとつ学問的なお話を。
 昨日、ガリレオを途中から見ました。あれなかなか勉強になりますね。あれを見ると物理がしたくなります。
 自分は教育実習で生徒に「先生って理数科の人だった?」とか「先生は理系っぽい」って何度か言われました。自分もその自覚はあります。文系理系を決める前までは将来先生になるなら数学が社会だなって思ってましたから。で、結局理由は諸々で文系を選び社会の先生の道を選びましたが。でも、今思うと社会科の先生って就職率悪いからね。数学の方がよかったかなってたまに思うことがあります。
 自分がもし先生なったら生徒には基本的に理系を勧めます。それは自分の反面教師っていう側面もありますが、実務や就職、研究のことを考えても理系の方が俄然有利です。教師になるにしてもそう。またいざとなったら理系の方が幅があるから文転といって文系になることもできます。文系が理転することは極めて難しい。そういう点を考えても自分は将来目指すものもなく、迷っている生徒に対しては「やりたいことがなかったらとりあえず理系に行け、後のことはそれから考えても遅くはない」って忠告すると思います。*1



 昨日の旭化成のCMでましゃが「文系は前例を基に仕事をする、理系は前例を壊して仕事をする」と言っていましたが、なるほどなって思いました。文系は何をやるにしても前例というのがつきまとってきます。前例のない論文はただの屁理屈になります。理系も同じなのかもしれませんが、文系は普遍性を求めようとしたとき前例や真理という絶対的命題からは抜け出せません。抜け出す唯一の方法が個人主義構成主義に走ること。しかし理系にはそれを破壊する可能性が大いに秘められています。科学が進歩するっていうのはそういう意味合いなのだと思います。


 どちらも前例を知るという作業(知識の獲得、お勉強をする)は伴うものの、新しいことを見つけるという観点に立てば、文系はジレンマに、理系は発展に、というイメージが自分の中には強くあります。ないものねだりなのかもしれませんが、あの公式たちの背後には新しい発見があるのだと自分は思います。



 
 ちなみに自分はsinとcosとか嫌いじゃありません。そんなのいつ使うの?なんていう人がいるかもしれませんが、自分は青森県立美術館で芸術作品を作る際にtanを使った設計図を見たことがあります。角度を計算する際にtanは使うんですよ。高校で習う数学や物理は理系の学問にとっての基本になります。文系に行ったって経済学部に行ったら微分積分を使います。案外経済学者の方が数学に詳しかったりする場合があります。




 ちなみにガリレオの解決方法はそれこそでんじろう先生の科学実験に近いニュアンスを持っています。難しい計算を身近なものに引き寄せた瞬間、そこに数式や公式が意味をなし、興味が湧いてくる、それが理系の授業だと自分は思うのですが、理系の方どう思いますか?



 ちなみに高校の数学をなぜやるのか?に困ったらこちらの本をおススメします。
 

マンガ・数学小事典 (ブルーバックス)

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*1:後は単に友達がいるっていう打算的な理由でも自分は構わないと思います。