青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

金八レビュー第8シリーズ第5話〜落ちこぼれ、先生を目指す〜

 今回のやつは非常に示唆的でした。

 今回は成績が全くダメな生徒が「先生になりたい」と言い出して勉強を始めるというお話。実際に逆境をはねのけて先生になった人はたくさんいると思います。ヤンキー先生とオール1の先生はその典型でしょう。
 また、かの有名なアインシュタインは総合的には落ちこぼれでした。しかしある部分には非常に特化していた。だからこそ相対性理論が生まれたわけです。
 学校教育はとかく内申を非常に重視します。特に入試なんて主要5教科しか実施しない上に、学科による傾斜配点があるにせよ、結局のところは全て100点満点で平等に採点されるのが基本です。こういう入試形態は自分のように気持ち悪いぐらいに勉強が大好きで、テストの点数を取るためだけでしこたま勉強するやつからしたら非常においしい制度です。だけど、そういう人間ほど「問題」というものを持ちません。持ったとしてもすぐに解決しないと気がすまないので適当にでっちあげて解決したつもりでいます。自分はまさにその典型的な人間。案外テストでは点数を取れない人ほど問題を抱えている場合があります。


 それを解決に導いてあげるのが教師の仕事、また問題のない子には問題を作るぐらいの気負いが必要なのかなと思います。しかし自分みたいな教師であればあるほどそういうことはできません。なぜか、それは今まで勉強で優秀であったため、「落ちこぼれ」の気持ちを知らないからです。優秀な人間は多面的な見方を失います。そして子どもは意外と客観的に先生を評価し、先生にない視点で突っ込んできます。それは悪い面、触れて欲しくない面も含めてです。そういう時に子どもの意見を拾えるか、子どもの意図を汲み取れるか、これが教師の力量というものなのでしょう。


 落ちこぼれというのはあくまでも全体の中での相対的な評価でしかありません。だからそのことで一喜一憂したり、自分には無理なんだといって卑下してはいけません。そういう時こそ自分で問題を見つければ、意外とすんなり成功を得ることができるかもしれません。よく入試で言われるのは「お前には○○高、○○大は無理だ」という言葉です。自分はこの言葉をあまり使いたくありません。要は本人の努力次第です。可能な限り挑戦してみることも必要だと思います。それを保障させるような実力をつけることも自分には必要なのかもしれません。


 少なくとも自分は今まで運動以外で落ちこぼれた経験はありません。これは自慢でも何でもありません。むしろ教師になったときにこれは非常にネックになる可能性もあるのだっていうことを自覚していかなければと思っています。落ちこぼれの気持ちはひょっとしたら自分には一生分からないのかもしれません。それでも生徒に寄り添うことだけは欠かさなければ…、自分はそう信じたいなと思います。