青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 そういえば残念ながら年賀状がしこたま余った、どうも僕です。昨日はあれから小平市の図書館に行ったら閉まっていた。どうやら中を改修しているらしい。で、いつまでかをホームページで調べたら、21日まで。


……卒論提出日じゃん。


 ってことでもう一度国会図書館に行く破目になりました。


 そんなこんなで昨日は最近恒例になっている金曜日の会合。昨日は卒論の史料を1時間ほど打ちました。悪いことをして召し取られた人の名前の羅列だったんで、結構長くかかりましたが、頑張りました。ええ、人の卒論のやつですが。そのおかげで今日おいらの卒論に使う年貢領収証を打つのが苦ではありませんでした。1ポンドの福音を流しながらパソコンと向かってました。


 話は前後しますが、今日起きてから録画していたエジソンの母を見ました。といっても、15分拡大だってことをすっかり忘れていたので途中までですが。いやあ、面白いです。大学4年になってから学校社会の中においてはひねくれ者みたいな考え方が好きになりましてね。「1+1=2」であるというのは算数ないしは数の数え方のルールでしかないわけですし、ウソを使ったパラドックスは分かりそうで分からなかったしと、とにかく面白かったです。キャストがどうこうというより内容が予想以上でした。これから先生になろうという方にはおすすめします。教え込みがいかに無力であるか、自分が習ってきたことが必ずしも絶対ではないということが分かります。


 ちなみに先生はみかんやチョークを使って「1+1=2」を説明していた時に、半分に割ったり、チョークが折れたりして1+1が3にも4にもなったりしていましたが、あれは小学校5年ぐらいになって「分数」という概念を習えばそれに対抗することができます。念のため。そのためにはもともとのチョークを「1である」と「みなす」必要がありますけどね。ちなみにこの「みなし」概念は心理学的には10歳ぐらいににならないと身につかないと言われているので、小1では少し難しいかもですね。だから、あの場合はそうだね、確かに4になるね、と肯定してあげることが大事なんだと思います。まあ、教師のプライドとして負けたくなかったら分数っていう概念を持ち出してねじふせてもいいでしょうけど。


 ちなみにあのドラマに今僕が教育上一番関心を持っていることが詰まっていると思います。「なんで」を追究する学習。いわゆる問題解決学習です。でも、問題解決学習にも問題を出す方法によって二つに分類することができます。ひとつは子どもが問題を見つけるパターン、もうひとつが教師が問題を示すパターンです。もちろんこれまでの理想的な問題解決学習が前者であったことは言うまでもありません。しかし、前者は実力がなければ「はいまわる」と言って、子どもの常識以上のことができなくなります。その上教師が子どもの発見を尊重しすぎると、学級崩壊や学力低下につながっていきます。
 その反面、後者の問題解決学習は、教え込みになる危険性がありますが、教師が策定する問題によっては、子どもはいくらでも輝きを見せると思います。私は問題解決学習をするにあたっては、まず教え込みでもいいので、子どもに「なぜ?」っていう気持ちを持ってもらえるような形で授業をする必要性があると思います。初めは管理教育になるかもしれませんが、徐々に慣れてくれば子どもは自分で「なぜ」を見つけ出そうとするはずです。つまり、問題解決学習は後者から前者へ、という流れこそが理想であるはずなのです。


 昨日のドラマでエジソン君の周りの子どもがそれに感銘を受けていましたが、あれこそが人間として一番大事なことですし、プレジデントファミリーなんかで紹介される頭のいい子どもはその視点を保ったままでいる環境であるからこそ、東大に行けたり高校生の内から素晴らしい研究や成果を挙げることができるのです。
 こう考えてくると、実は文部科学省が狙っていたことは少しも間違いではないのです。ただ少し、ほんの少しだけそれが教師に伝わっていなかっただけなのです。


 これは中学生や高校生だけでなく、小学生においても有効な手段であるはずです。ただ一つ「なんで〜なの?」と1時間に1回授業で問いかけ、それを知識を用いて、あるいは実際に出歩いてみたりして解決する、これだけで授業は輝きを見せると自分は考えています。
 そしてそれが多様な答えを持っていたり、教科書や常識とは逆のことが言えたらなお最高だと自分は思います。エジソンの母はまさにそのことを暗に示していると思います。