青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

金八レビュー第16話〜寄りかかるな〜

 今回の金八先生は巫女の中学生が守護霊を見ちゃうお話でした。以下自分の個人的な宗教観に基づく考え方なのでご了承下さい。
 

 みなさん、宗教って信じますか?みなさんの宗教って何ですか?こうやって聞かれると皆さんの頭にはキリスト教イスラム、そして仏教といった言葉が浮かんでくると思います。そして、強いて言うならば僕の家は日蓮宗なので仏教と言うことができるでしょうか。
 これらを宗教ととらえた場合、キリストやアラーを崇めているわけではないので「信じていない」と答えるかもしれません。このように日本人は無宗教である、と言われることがあります。しかし本当にそうなのでしょうか?例えば初詣で神社に行ったら賽銭を入れ、手を叩いて神様を呼び、今年の健康をお祈りしたりしませんか?それだけじゃないです。例えば朝、めざましテレビなどの占いを見て、あ、今日も一日ラッキーだわ、なんて言ったりしていませんか?あるいはあるいは細木数子の六世占術で大殺界だあ、なんて落ち込んでいませんか?これらだって、一種の「信仰」であるし、これも宗教ととらえるならば、我々は何と多宗教なのでしょうか。


 宗教をよりミクロな視点でとらえれば「誰かを信じること」であると私は思います。江原さんや細木さんを信じることだって一種の信仰です。未来が見える、守護霊が見える、そして未来は、彼らは私たちの人生を予言したり、助言したりする。しかし、そこには江原さんや細木さんの主観が入ることだってあるのです。だって人間ですから。そう考えると宗教や信仰だって絶対ではないのです。でも、それは江原さんや細木さんの責任ではありません。それを信じる私たちの責任なのです。日本は幸いにして多宗教な国であるのでうさんくさかったら信じなければいい、それだけの話です。彼らの言葉は一つの助言であります。


 こうやって考えると、「誰かを信じること」は必要だとは思います。思いますが、それはひとつの助言でしかありません。本当に信じることができるのは己の意志だと思います。もちろん助言を鵜呑みにしたり、何かを信じてもそれはそれで大いに構いません。だって、それを信じることだって最後は自分の意思ですから。ただ、信じたものが失われたとしても、意志だけは強固にもっていれば、また新しいレールは作られていくはずです。これを宗教と定義することにはいささか抵抗はありませすが、思想の結集体が人間ですからね。



 でも、今言った事と矛盾するだろうけど、誰も信じることができない人間ほど恐ろしい人間はいないからね。そう考えると、我々の中にミクロな意味での宗教は存在しているのだから、その構造を知るっていうことは重要なのでは?と思います。


 脈略のない話になってしまいましたが、つきつめて言うと、宗教って奥が深いんだってことです。