青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

海外旅行を振り返る

 本当は振り返りたくありません。理由は以下を読めば分かります。以下、感情的でダークな自分が出てくるので気をつけて下さい。それでもいいと覚悟を決めたら以下をご覧下さい。

 1日目、成田からホーチミンベトナム)、乗換えでシェムリアップカンボジア)へ。これで一日が終わる。この日は無難な一日。


 2日目、アンコールトムとアンコールワットを見る。世界史未履修のおいらからしたら、世界史が大好きな人が何度説明を加えてもスケールの大きさとすごさは分かったが、感動はしなかった。それでも無駄に写真は撮りまくった。


 3日目、アンコールワットで朝日を眺め、昼はシェムリアップの市場まで歩かされる。市場のにおいと暑さがきつかった。そして間髪入れずにロモ(バイクタクシーみたいなやつ)に乗せられて、郊外の遺跡へ。これまでの疲労と、ロモに乗って思いっきり砂と風を浴びた結果、喉を痛める。しかも夜のシャワーがぬるいの何の。この悲劇が地獄の始まりだった。


 4日目、シェムリアップを後にし、再びホーチミンへ。カンボジアのガイドさんはすごくいい方でした。一緒に行った人が友達になっていて、帰国したら手紙を書くとか言っていました。
 ホーチミンはとにかくカブ(バイク、原付)が多かった。そしてそのせいで空気がすごく澱んでいた。その中をひらすら歩かされる。これで完全にとどめは刺された。ホテル到着後、どうしようもないだるさと喉の痛さに襲われる。体温計を持っていっていないから分からないけど、多分熱があったでしょう。


 5日目、つらいからだを無理矢理たたき起こしてクチトンネルへ。ここはベトナム戦争のときに南部解放戦線(クチの人びと)が生活し要塞とした地。みんなで折半し、日本円でいうと約200円で実弾を撃った。海外だから許されること。その時の反動がすごかった。200円で人の命を奪ってしまうのだから戦争とは何ともはかないものでしょうか。
 そしてトンネルの中にも入った。狭さ・暗さ・暑さの3拍子。半腰で歩くからとにかく疲れる。途中はもうはいはいをしていた。服がめちゃくちゃ汚れた。
 


 6日目、もはや肉体的にも精神的にも完全に蝕まれてしまう。おまけに現地のジュースを夜中に無理矢理一気したせいでしょう、おなかも下してしまう。朝は今までに体験したことのないだるさに襲われる。
 この日はメコン川。体調はもはや限界で歩くのさえやっと。それでも同じようにツアーに参加した人たちとある程度交流ができたのはよかったと思う。
 帰ってきても、ホテルで休めないので、自分から言わせれば環境が汚染されまくっているホーチミンの夜を歩かされる。あの時が一番辛かったかもしれない。それまではホテルで何とか休めたけど、それができないためたまっていた疲労のまま歩き、歩き方が悪かったので足にマメができる。もはや満身創痍といった感じだった。
 そして何とか帰国。夜もおなかを下している関係で起きたりなんだりでちょっとずつしか寝ていない感じがする。でも、寝ていた方なのでしょう。


 そして昨日。朝成田に着く。帰ってきて飲んだポカリスエットのまあ、おいしいこと、おいしいこと。日本に住むということがこれほどまで安全で、そして幸せなことだったのだということを強く感じた。
 そのテンションで国分寺のすきやで牛丼を頼んだけど、さすがにこれはあんまり食べれなかったなあ。



 これで昨日僕が書いた日記の意味が分かっていただけたでしょうか。まあ、そもそも体調を壊すこと自体自分の不徳の致すところだし、東南アジアに行った以上、衛生面や体調の悪化はある程度覚悟しなければならなかったのですが、これほど壊すとは予想しませんでした。


 そんな中、薬をくれ、自分を励まし、率先して先頭に立って外国人とのコミュニケーションを図っていたWさんには本当に感謝してもしきれないぐらいに感謝しています。おそらく彼がいなかったら今回の旅は安全に終わっていなかったでしょう。本当に予習やチェックなどがまめで改めて尊敬の念を抱きました。最後はダメダメな自分でものすごく迷惑をかけましたが、本当にありがとうございました。


 
 今回の旅で僕は気づいてしまったのです。日本と言う国がいかに安全で、いかに幸せな国か、ということを。今回の海外旅行はもともと海外志向のない僕に海外への扉を開かせるどころか、むしろその扉を厚く閉ざす結果となり、ますます日本志向になりました。3月の韓国が終わったら、もうよほどのことがない限り海外へは行かないでしょう。それぐらい幸せな思いより辛い思いをしてしまった海外でした。


 これが自分の正直な感想です。そして今なお体調は直りきらず、昨日今日と一日中部屋にいるわけです。