愚痴
卒論指導のときに、月曜以降に附属で予定されている指導案を眺めてみました。
…うわあ、ひどい
っていうのが率直な感想です。
自分だったらこんな授業したくない、っていう感じの指導案です。子どもが生き生きして学ぶ姿が全く見えてきません。むしろ子どもが社会の時間をなめてかかるような指導案です。
でもこの原因は、自分たち院生の勉強不足だけではないように思います。
何にも教えてくれない指導教官にも問題があると思います。
いや、むしろ指導教官でさえ何にも分かってはいないんだと思います。
だから、学生に一任してしまうんでしょう。
一任してくれる分には大いに結構なんです。自分たちの好き勝手にできるんだから、こんな嬉しいことはありません。
でも、一任する割には、横やりを入れてくるわけです。
そして、指導案の全否定。
全否定されたら、今までのが水の泡になるわけだから、当然、事前準備が不足し、授業のレベルも落ちます。
それを、たった3時間の授業づくりで、3度もやられるわけですから、自分たちを客観的にみると、かわいそすぎます。
幸い自分は今問題になっている部分の指導案にはあまり携わっていないので、ダメージは少ないのですが、そこに当たっている院生は本当にかわいそうです。
前期の地点で粗方思ってたけど、改めて、
本当、ここの先生は教師失格。
そんな教師失格の人間が、教師を育てているんだから、うちの大学の社会科教育のレベルは低くなるわけだ。
一部、切れないで、授業や実習にチャレンジできるのは、歴史とか地理とか、他の研究室の先生と、附属の社会科教師の指導の賜物。
そして同時に、
こんな教師失格の人間が指導するから、「教科教育学者は教師の落ちこぼれ」っていうレッテルを貼られる。
悲しい現実。
できることなら、ここの研究室の在り方を批判するような修士論文を書きたい、そう思う今日この頃です。