青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 うひょひょ、もう6月ですよ、6月。どうしましょう。何にもしていないのに…。


 日曜日、図書館で気合を入れて論文の事を考えようと思ったら、



 休館



 あ、今日は創立記念日か。
 しょうがないので、研究室でだらだらやっていました。研究室でテレビ見ながらだらだらやっていました。
 なので論文の事は一切考えず、ってところでしょうか。



 
 月曜日、授業を聴講しまくっている月曜。日本国憲法、中等社会科教育法、教育学の概論。そして院の授業にゼミ。ほんと、月曜日は疲れますね。
 そんな中でも教育学の概論で、スクールホーム(学校は子どものケアが必要か)っていうテーマで、いのちの授業でおなじみの大瀬校長先生の授業実践を見た。
 ここでは子どもの心から出る意見を重視し、尊重する学校づくりをしていて、不登校が減った的な感じで全国から人がやってくるっていう有名な学校なのですが、




 その中に社会科の授業実践をしていました。小学校の地域学習で、「茅ヶ崎の海の素晴らしさを自分の言葉で述べよう」というたぐいの授業でした。そのために、実際に海にも行き、漁船にものり、かまぼこ工場にも見学に行きました。そしたらある子どもが「自分の言葉」で海をこう表現しました。




 「きたないけど、がんばっている」



 さて、あなたは教師ならどう対応しますか?



 その先生は、「ふざけんるんじゃない、まじめに考えなさい」と注意をしました。
 みなさんも注意をしますか?



 そのこと自体はその大瀬校長先生は批判をしました。
 「せっかく自分の言葉で述べているのだから」、と。



 しかし、僕自身はこの発言を聞いた時、こう思いました。
 「これはチャンスだ!」



 この発言、社会科教育の立場から言えば、チャンスそのものです。なぜならそこから彼らの社会認識を高めることができるからです。
 つまり、「なぜきたないと思うのか?」「その原因は何か?」「どんな要因が海をきたなくするのか?」、この辺りを調べるようにすれば(教師が資料を提示すれば)、子どもの目は自然と社会が抱えている問題に目がいきます。
 実はこれこそ社会科にとっては大事なのです。
 茅ヶ崎の海の素晴らしさを語る、これは社会科でやる必要はないです。また、海の素晴らしさを語ることはある種、子どもが空気を読んで本音を言わなくなります。「きたない」は本音であっても、彼は様々な「がんばっている」姿を見たから、「がんばっている」と答えたのでしょう。この「がんばっている」は建前です。



 社会科は地域をほめ称える科目ではありません。むしろ地域にある問題を明らかにし、地域にある問題をどのように解決していくのか、を考える科目です。茅ヶ崎を考えるっていうことは、茅ヶ崎を称賛するのではなく、むしろ「不思議だな」「おかしいな」「どうしたらいいのかな」ということであると自分は思います。




 同じように聴講していた学部3年の社教の人も同じことを考えていたみたいです。いやはや結構社会科っぽい頭にお互いなっているみたいです。










 今NHKでUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のドラマ(風に舞いあがるビニールシート)をやっています。吹石一恵が出ているやつ。ストーリー自体はあんまり面白くないんだけど、フィールドに出ることや、企業のイメージアップと結びついた交渉術など、普通の授業じゃ絶対に見えない部分がちらほらと見えていたのは面白かったです。特にレセプションパーティを通じて、企業と取引する部分は、難民の問題とはいえ、やはり背後には経済活動があるんだな、っていうことを感じさせてくれます。「施し」ではない「経済支援」でもない難民事業の実態が分かると思います。
 ドラマ自体はあんまり面白くないけど、見てみる価値はあるかと思います。