青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 論文という名の壮大な感想文は、まだ動きだしていません。
 5日、久々にボランティア。その後は家にひきこもって採用試験の勉強。
 6日、バイト。これで一日つぶれる。
 その後、最近のストレス発散のために、銀座に行って北乃きいの握手会の整理券をゲットしてくる。アイドルイベントをストレス発散の場にするとは…自分も追い詰められていますね。
 でも、好きなことに出資し、好きなことのために働いたり頑張ったりする、そのために仕事をする、っていうことを宮台真司は肯定し(逆にいうと「仕事に生きがいを求めるな!」ということ)、その生き方として「アイドルファン」を肯定していた、と自分を合理化してみたり。




 今日もUNHCRのドラマを見ていました。その中で出てきたのが「ハゲワシと少女」の写真。これは1990年代、スーダンの内戦により飢餓になり、今にも死にそうな子どもと、その子どもが死ぬのを待っているというハゲワシの姿を撮った写真。この写真を撮ったケビン・カーターという人物は、この写真でアフリカの戦争による飢餓の状況を伝えた、ということで、ピューリッツァー賞を受賞します。
 しかし、この写真は「報道優先か、人命救助か」という議論を巻き起こし、世界中で論争となります。そんな最中に、写真を撮ったカーターは受賞後わずか一か月で自殺をしてしまいます。



 この写真は、申し訳ないけれど、学校教育においてはいわば「王道」の教材。その理由は以下の点であろう。
 1報道優先か、人命救助か、という答えのない問題を議論できること
 2いきすぎた報道を指摘する(ジャーナリズムへの批判)ことができる
 3命の尊さを議論を通して、示すことができる
 4戦争という現実を伝える事ができる
 5メディア・リテラシーにつながる


 
 この他、挙げるときりがないと思います。
 さて、ここであなたに質問をします。
 あなたがもし教師だったとしたら、目の前にこんなに魅力な教材があります。あなたはこの写真を使って授業をしますか?




 大方の先生ならこんなに素晴らしい教材、みすみす放っておけないからもちろんYESでしょう。自分もそう。だけど、だからこそ安易に飛びついてほしくない。この教材は以下の点で問題があると自分は考えます。
 1アフリカの、子どもにとっては現実感のない(切実性のない)教材であるということ。
 2少なくとも何を伝えたいか(道徳で「命の大切さ」を伝えたいのか、「メディアの怖さ」を伝えたいのか、社会科で「アフリカの飢餓の問題」を取り扱いたいのか)をはっきりさせること。
 3戦争の問題は、社会科ではいわゆる「暴露・告発型」と言われるように、授業の雰囲気が完全に重たくなる。その重たくなる覚悟を持てるか、子どもに持たせてよいかどうか。




 まあ、一言言いたいのは、この写真は学校教育においてはあらゆる角度から考えさせることが可能な教材です。だからこそ、何を考えさせたいのかを明確にする必要があるでしょう。
 そして、社会科の教師としての願いは、子どもたちに「命の尊さ」を強調するだけでなく、「メディアという媒体の怖さ」を伝える授業であってほしいな、と思います。つまり、我々の目の前に入ってくる情報は断片的であり、我々はその断片的な情報によって理解し、解釈し、考えている、ということです。




 だからこそ、この教材の意味を考え、そして子どもに「生きる力」を与えてほしいなと思います。