青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

昨日のゼミにて

 昨日のゼミの空気は凍りつきました。なぜかというと、帰ってきた4年生が実習で行った5年生の水産業の単元の授業を先生の考える授業とは真逆の発想で作ったから。
 「指導する気失せるわ」
 「ゼミ変えたら?なんでうちにいるの?」
 「お前、教師になるな」
 怒声・罵声のオンパレードでさすがにその4年生も泣いてしまいました。
 さすがに聞いているこっちも先生の人格無視の発言にはかなりイライラしてはいたのですが、怒っているうちは何を言っても無駄だと思ったので、怒りが収まるまでは黙って、そこからみんなで何とか収めました。




 いや、正確にいうと東京都の小学校社会科の発想と、先生がいう社会科の発想が真逆だというのが正しい答えです。
 一応自分なりにまとめると、以下のような感じですかね。

東京都の発想
1.人々の思いと願いにこだわる
2.子どもの意見を尊重し、子どもなりの答えを出す
3.社会で起きている問題は極力扱わない
4.お金(価格)のような反道徳的なものや、難しい概念的なものは、子どものやる気を削ぐ(らしい)ので極力扱わない。


先生の発想
1.しっかりとした社会認識、ないしは市民的資質の育成にこだわる
2.子どもなりの意見は、社会を見る視点を獲得しているとは言い切れないので、そこは教師がある程度介入することによって、社会を見る視点を高めていくようにする。
3.社会問題を扱うことが重要
4.社会を見る上で概念的なものは必要なので、それを発達段階に応じて教えられるようにする。

 ってな感じです。
 もちろんその4年生も最初はゼミで習ったことを活用して授業を作っていました。1時間目や2時間目の授業は実際にそうでした。
 しかし、
1.多くの児童が「ポカーン」としていた。
2.先生の介入が入った
 ことにより、以降、「漁民の思い」などに注目した授業へと変容していきました。
 で、研究授業の際には、子どもは「漁民の立場に立っていろいろ意見を言っていた」ので、子どもが「動いて」いたということでした。


 でも、先生から言わせたら
1.「漁民の思い」とかそういう感想を言わせるのは、4年生まででやめてほしい。5年生になったら、児童にも社会の見方・考え方を指導できる年になる(ピアジェの発達段階説参照)のだから、そんなことをするのは授業の無駄である。
2.いろいろ意見を言っていたのは、言うのが楽だからであって、そこに知的な発想は全くない。これでは、一部の頭の鋭い児童のやる気を奪っている。
3.先生の介入が入ったとしても、その介入の中でいかにやるのか、が腕の見せ所だろ


 だそうです。



 こんな感じで、うちのゼミの発想は、東京都の小学校の先生の特に「社会が好き」という先生がやる社会科の授業とは真っ向対立するんです。ちょうど4年生が行った先の先生も、そういう先生だった、みたいです。
 だから、その4年生はその先生に従ったまで、です。だって、実習の単位認定はその先生が握っているわけですから。ところが、うちの先生と来たら、授業を批判するだけならまだしも、4年生の人格を否定しだしたもんだから、「ああ、ありゃひどい」ってなるわけです。
 その4年生だって4年生なりに努力したわけなのに。それをふみにじることに対しては、自分も「何だこりゃ」って思ったわけです。



 まあ、仕方無いですよ。過去には「地理いらない」発言をして、地理学研究室を敵に回してみたり、授業の欠席者がちょっといるだけで、「やる気失せた」って授業をボイコットするし。それで大学のライフキャンバス委員会で何度か注意受けているからね。多分、その4年生も委員会に訴えたら確実に勝てると思いますよ。ある意味人権を侵害されているわけですから。憲法には人権を侵害された場合において、権力者を訴える権限を認めているわけですから。大学もそれと同じ構造を持っているわけですし。





 それに敢えて言えば、小学校は全科制の発想なので、目標は子どもの成長、社会科は小学校の先生にとってはほんの一部にしか過ぎないのです(まあ、だからこそ「社会科が得意」とかいうやつほど、腹が立つっていう気持ちは分からないでもないが)。一方中等教育は教科制。なので、目標はその教科を通した子どもの成長。だから社会科の先生にとっては社会科が全てなのです。
 だから、社会科の先生はよく社会科だけで語ってしまうくせがあります。一方、小学校の先生は子どもが「楽しければ」何でもいい、っていう発想から社会科を語ってきます。
 この2つの発想は全く相いれません。だから去年自分たちの臨地研究は小学校の現職の先生に好き勝手に作らせて、しかも年上だから迂闊に文句も言えなかったので、ボロボロだったわけです。
 このぐらい、社会科における小と中高の発想は犬猿の仲、水と油なわけです。




 そんな中に揺られてやらなきゃいけない、うちのゼミの小学校教員を目指している学生。理想と現実のギャップに苦しむこと間違いないですね。「知らぬが仏」という言葉がありますが、まさにそんな感じ。
 そんな思想とイデオロギーが渦巻く研究室に私は監禁されているわけです。