青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

ねぶたを考える2009

 毎年この時期になると、何かしらねぶたについて考察しているので、今年も考察を重ねたいと思います。
 今年は「カラスハネトとねぶたの市民参加」の問題について考察したいと思います。
 一時期修士論文で、市民社会科、批判主義社会科の観点から、価値に内在化されている社会的要因は何かを明らかにして(それを教室空間で学んで)、市民参加をいかに考えていくのか、というのを「ねぶた」をテーマに本気でやろうと思っていました(でも、これは結局自己満足に陥りそうだったので、将来青森県の先生になってから考えようと決めました)。



 その一事例として自分が考えていたのが、いわゆる「カラスハネト」の問題でした。
 この「カラスハネト」が顕在化したのは、青森ねぶた祭りで1990年代の頃でした。ハネトはいわゆる浴衣・正装で祭りに参加することを呼びかけたにも関わらず、黒い衣装を着て、勝手に中に入り、騒いでいる。挙句、花火をボンボン打ち上げて観光客に怪我を負わせるという事件にまで発展しました。


 こうした一連の問題から、警察の警備体制が強化。にも関わらず、当初は減少するどころかむしろ増加し、警察とカラスハネトのいたちごっこの様相を呈していました。自分が小学校4年生の時に初めて青森ねぶたを見た時も(それ以来見ていないが)、ねぶたの最後にはカラスが警察に囲い込まれていて、自分たちも座っていた場所をどけて、そそくさと帰らざるを得ませんでした。



 この現状を打開するため、市は条例を設け、迷惑禁止条例に基づく罰則、及びカラスハネトが参加できないように運行方式を一斉スタート・一斉解散方式へと変更しました。その結果、カラスハネトは激減。今ではほとんどおらず、青森市のカラスハネトへの取り組みは一応成功したように思えます。



 だが、この問題はあくまで観光客に対する行政の対応という側面での成功にしか過ぎません。こうした行政対応が秩序維持にはつながった反面、祭り本来の自由な参加を奪っていることが近年明らかになってきました。
 例えば去年の東奥日報には、祭りへの参加方法が囃子方への参加が増え、少ないハネトに、見事に秩序だった膨大な人数の囃子方といういびつな運行形態を作っている現状が指摘されていました。
 また、今年の東奥日報には、青森市の高校生がねぶた祭りにはあまり参加したくないというアンケート結果が出たことが示されていました。数年前の弘前大学の研究における小学校段階でのアンケートでは、「ねぶた(ねぷた)は世界に誇れる祭り」としている児童が8割いたことと比較すると、その差は歴然です。その根拠の中には、「青森ねぶたは規制が厳しいから」という理由を挙げる高校生もいました。




 こうした現状に際して、青森市(行政)は、現在の秩序を維持しつつも、市民が自由に参加できるような、また新しい対応策を練らなければならない時期にきているのではないかと思います。




 同じ状況が今、五所川原市立佞武多でも起きようとしていると自分は思います。
 五所川原市立佞武多は、その復帰当初は立佞武多の中には誰でも参加できるような雰囲気がありました。実際、自分も私服のまま(カラス以前の問題ですが)母校で笛吹いていたこともありますし、うちの後輩なんかは、高校のが早く終わるので、その足で本丸の立佞武多の運行の輪の中に入って囃子をしていたこともありました。



 そんな自由な雰囲気がここ数年、完全に失われつつあります。その要因は3つあるように思えます。
 ひとつが、カラスハネトの流入です。これは青森市が先に挙げた規制をしき始めてから顕著になりました。多分自分が大学1年とかの頃だと思うので、5年前でしょうかね。最終日なんかは西北病院のあたりに黒い衣装やさらしを巻いた姉ちゃんなどが大量に押し寄せ、異様な雰囲気を醸し出していました。
 二つ目が、それを最後尾に囲い込んだことです。これは観光化の対策の上でやむを得ないことだとは思いますが、それを囲い込むと、もはやそこにいる人は観光客からしたら、「カラスハネト」とレッテルが貼られます(社会学ではこういうのをラベリングといいます)。それがイヤで参加できない市民もいるのではないかと思います。



 そして三つ目。これが一番自分はよくない要因だと考えていますが、囃子団体を作って、立佞武多の囃子をその団体だけが担うということです。ということは、立佞武多に参加するためには少なくとも、どこかの囃子団体に加盟することが絶対条件となります。もちろん、囃子段階を作って囃子の精度を上げたり、よい演奏を観光客に見せたりすることは悪くはないと思いますし、どこのねぶた・ねぷた祭りだって、その団体への加盟が参加の必須条件であることは間違いありません。
 しかし、それは団体や町内だからなのであって、市の立佞武多は団体のものではない、と自分は考えています。おまけに囃子の人たちは揃いの半纏に揃いの衣装、まるで「お前らは祭りに参加する資格なんてないんじゃ!参加したけりゃうちの団体に入りやがれ!」と無言の圧力をかけているかのようです。



 最近のこうした立佞武多の過度の観光化・行政化は、祭り本来のよさをかき消し、青森市が抱えるような問題を数年後、五所川原市も抱えてしまうのではないかという危惧が自分にはあります。
 幸い、自由に参加する人たち(観光客からしたら「カラスハネト」)が観光客に危害を加えることがないので、こうした問題は顕在化せず、ある程度の自由な雰囲気が保たれていますが、それもいつ立ち消えするか分かりません。



 少なくとも自分は、五所川原が去年あたりから正装の参加を呼び掛けているように、自由な衣装(といっても、別に私服でもないし、やし(ヤクザ)みたいなれっきとした祭り衣装だけどね)を規制の対象とし、彼らを「カラスハネト」とラベリングしようとしている現状をみると、「ああ、五所川原もつまらなくなったな」と感じてしまいます。ぶっちゃけ去年は母校でフル参戦したけど、あんまり面白くなかった。運行も1時間だし、自由に囃子もできないし(ま、しちゃいけないんだけど)、何かきちっとしているし。



 こうした現状打開のためには、やっぱりせめて1台ぐらい自由に参加できる立佞武多を作ってみるべきだと思うのですが、無理なのでしょうかね。やっぱり自由な衣装の人間は後ろで囲い込まなければいけないほど、「危険」な人たちなのでしょうかね。



 こうした実情を、カラスハネト排除派の背景には、カラスハネトへの対応を事例に、ねぶた祭りの観光化による対応があること、自由運行派の背景には、例えばつがる市の祭り、東京のねぶた祭りを事例にして、市民による祭り、自由参加による祭りが、本来のあるべき祭りの姿と考えているという両者の価値対立を明らかにした上で、例えば順位づけをするなり、留保条件を付けた対策提言をしてみるなどの授業を、と個人的には考えていました。これが地域における伝統や文化に対する社会科として、市民的資質育成としてあるべき市民参加なのではないかと思いつつ。
 まあでも、構想はあるのでこれはこれで青森県に就職したら、考えていこうと思っています。



 だから自分は、つがる市のねぶたが好きだし、東京のねぶたの、ある程度自由参加な雰囲気が残っている、地域のねぶたが大好きなのです。観光化による規制はある程度やむを得ないとは思いますが、観光客よりむしろ、そこに住んでいる、祭りを作る人たち(特に子どもたち)のことをもっと考えてあげる必要があると自分は思います。ねぶた祭りは今その曲がり角にきているのではないかと自分は思います。