青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

いじることといびること(田村淳公開録音@一橋大学)

 昨日、一橋大学に上記の公開録音を聞きにいきました。
 テーマは政治PRについて。そこから派生してコミュニケーションについても考えていました。
 ゲストは田中慎一さんという政治PRに関する専門家。




 感想からいうと、すっげー面白かったです。そして分かりやすかった。



 社会が複雑化し、真実なんて存在しない、しかも情報は断片的にしか入ってこない今、信用される人間というのは、「相手に共感を与えること」と「自分に共感してもらえること」の二点なんだそうです。
 田中さんは、その代表的人物としてオバマ大統領を挙げています。黒人という特徴を長所に変え、「you can」と語りかけることで、国民の支持を得、お祭りのように世論を盛り上げる、これこそが今の政治PRには欠かせないそうなのです。
 



 今や政治は理詰めで相手を納得させる「説明型」から、強烈なメッセージ(主張)を発することができる「共感型」へとシフトしているわけです。
 芸能人知事が人々の支持を得るのも、強烈なメッセージを自らのキャラクターに合わせて主張することができるからだと思います。




 その点、芸能人で人気のある田村淳さんは政治家になる素養ありと改めて思いました。
 それは、公開録音中に淳さんが言っていた3つの要素に換言できると思います。




 一つは、「相手のよいところを見つけようとする(いじる)こと」、二つ目は「相手の話を聞く(あいづちをうつ)こと」、そして三つ目は「自分の経験をプラスに変えること」です。




 テレビの中ではよく芸人を「いじる」ことをします。落とし穴を作ったり、罵声を浴びせたりするのはテレビではよく見られる光景だと思います。
 しかしそれは、「いじる」のであって、「いびる」のではありません(これは、公開録音に来て、淳さんにさんざんいじられた甲府から来たおばちゃんが言っていました)。
 「いじる」というのは、「相手のよさを認め、それを立てること」です。淳さんは普段の生活でも常にそれを意識しているのだそうです。決して「相手の悪いところを叩く」ことではありません。それは「いびる」です。



 また、近年コミュニケーションの問題がしきりに叫ばれていますが、その根本的な問題は「聞くこと」にあるのだと思います。淳さんは以前、教育テレビで子どもたちにコミュニケーションを教える際に、魔法の言葉として
 聞くときに(聞いていなくても)「へえ〜、ふう〜ん、そうなんだ」
 と言ってごらん、すると相手は気持ちよくなってもっともっと話をしたくなるよ、
 と教えたそうです。
 現に、淳さんは質問をされた時も、しっかり相手を見ていました。それが普段からできる人間はすげーと思いました。



 そして「経験」です。淳さんの場合は自身のホームレス経験を話されていました。そうした話から、今の貧困の問題に切り込めばよい、というのが学生からの提案だったわけです。
 「今まで経験してきたもので何一つ無駄なものはなかった」
 と堂々と言い切れる淳さんは、やっぱ芸能人としての才能があるんだな、と強く思いました。
 南キャンの山ちゃんも生で見て、「この人は天才だ」と思いましたが、淳さんもそれ以上に「天才」だと思いました。



 この3つの要素は、教育現場においても十分伝えることは可能ですし、社会科の観点から言えば、理詰めではなく、「つながる」ことの重要性、と同時に今求められている「市民的資質」に大きくつながるものなのかな、と感じました。
 同じように「つながる」をキーワードに社会科(市民科)を構築しようとする立場に、藤原和博氏がいますが、改めて社会で「つながっている」人間ほど、市民的資質を体現している人間はいないな、と感じました。
 じゃあ、教師は何ができるんだろう。それは「つながり」をコーディネートする力なのかな、と思いました。



 でも、小学校の社会科みたいに、来た人に話をさせて当たり障りのない質問をさせて満足してもらって帰ってもらう、そういう「つながり」ではない、もっと批判的な、何なら来た人が「やべ、もっと頑張らないとな」と思わせるような「つながり」を作っていくことが必要だと思います。




 政治PRからは乖離してしまいましたが、この世に真実など存在しない今、求められるのはコミュニケーション力、しかも共感的コミュニケーションなんだということを感じました。











 でも、このイベントを持ってきたのは実際の公開録音の中で一番コミュニケーションに詰まっていた人でした。
 話すことが苦手な人、いじることもいびることも苦手な人、というのはたくさんいます。
 僕はそこで「逃げるな!話せ!」というのではなく、「別なコミュニケーションツールを探す」方法を提供することも重要なのかなと思います。それが「ネット」であったり「書く」ことであったり、そして「ラジオ」であったりするわけです。
 ラジオはつまらなくなりましたが、テレビやネットとは違う、「濃いつながり」ができるのがラジオの魅力だと思います。この公開録音を通じて、改めて「ラジオ」の魅力というのも再評価できました。