青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

学問について考える

 暇ができたので久々に長文書きます。


 うちの大学の社会科分野では1年から2年にあがる時に、歴史・地理・法政治・経済・哲倫理・社会・社会科教育の7つの学問分野に分野わけが行われ、2年生以降は、いずれかの研究室に所属し、所定の単位やゼミを取りながら卒業論文の執筆を目指していくという体系になっています。
 そして、今年も分野わけが行われたそうです。そこでうちの研究室に激震が走りました。




 志望者3名




 まあ、哲倫理や経済などは3名〜4名はざらにあるみたいで、社会科教育は例年10人前後が志望する(今の3年生に至っては20人志望した)ので、この少なさは過去最低らしいです。
 みんな原因探しを始めています。確かに、内実を見ると、研究らしい研究をしていないから最低の研究室であるのはあるのですが、それでも3名は少なすぎ。
 誰かが悪い印象を流したのではないか、特に3年生では?と、犯人探しをする先生もいます。




 じゃあ、今まで流れていた分はどこに流れたのでしょう。




 どうも歴史学らしい。しかも日本近世史。



 
 うちの近世史の先生は、某大河ドラマ時代考証をやるほど有名な先生(今年の大河もばっちりやっています)。今の1年生は一昨年の「篤姫」の影響がものすごく、歴史学志望者が多いとのこと。




 ただ、歴史学をやっていた者かわ言わせれば、「歴史学」と「学校歴史(教科書的な歴史)」と「歴史小説や歴史ドラマ」は全く異なるわけです。


 「学校歴史」は、原始から現代まで、日本がいかに成長し発展してきたのかを描く成長物語で、子どもはその成長物語に貢献した有名人や有名事件を事象としてそのまま覚える事を強要されます。高校の歴史なんて、それこそ自分みたいに「暗記するのが大好き!絶対に覚えてやるぜ!」というやる気のある人でないと、苦痛で苦痛で仕方がない。
 もちろん、社会科を志望している以上、彼らは暗記なんて屁の河童と思っているやつらばかりだろうけど。




 「歴史小説や歴史ドラマ」は、それこそ小説やドラマを描く人の「歴史」です。だから完全に物語。そこには史実じゃないものが多分に含まれています。それこそ源義経青森県へ逃れてチンギス=ハーンになったレベルと同じ話です。彼らが何を思い、どのように考え、そして行動したか、なんて誰にも分かりません。だけど、現代の人々は、自分の持っている歴史の知識をフル稼働して、歴史を描くことが許容されている。司馬遼太郎など、有名な歴史小説家は、彼らが持っている歴史知識を使って、「歴史物語」を描いているに過ぎないわけです。
 そして、物語だからこそ、そこに心情がこもっているからこそ、ウケがいいわけです。




 じゃあ、「歴史学」ってどんなお仕事なのか。簡単にいえば「史料を根拠に歴史事実を明らかにするお仕事」です。例えば、先に挙げたチンギス=ハーンの事例は、青森県にお堂がたくさん残されているという根拠はありますが、それはただ青森県に住んでいた人が語り伝えたに過ぎません。一般に、歴史学のお仕事は文章として残された史料(これを文書と言います)にあたり、そこに書かれていることから、その時代の人々の様子を明らかにすることです。
 もちろん、近年では発掘資料や図像、絵巻など、資料として扱う範囲は拡大してはいますが、基本的には、その時代に人々によって書かれた文書にあたる、これが歴史学にとって必要なお仕事なのです。




 だから、うちの近世史の先生のお仕事は、こうした歴史物語に書かれていることが、果たして本当にあったのか、あるいは現代語っぽく言われているけど、本当にそんな風に言ったのか、などを、その時代の史料にあたり、できる限りその時代に近づけていく作業をしているわけです。これは、はっきり言って歴史学をちゃんとやって、史料にきちんとあたり、そこから史実を明らかにすることができる人しかできないお仕事です。





 話しを基に戻します。




 と、いうことは、歴史学研究室に所属し、そこで卒業論文を書くためには、


 ?史料が読めるようになること
 ?歴史学の研究成果をきちんと理解できること
 ??をふまえて、誰も明らかにしていない歴史事実を明らかにすること



 の三点が必要になります。




 うちの大学の歴史学研究室は、2年生になると、「自主ゼミ」という名の強制加入のゼミが存在します。そこでは、主に?と?の力をゼミの先輩方の力も借りながら、あるいは議論を深めていきながら習得し、4年生になったとき、?を見つけることのできる視点、分析することのできる力を養っていきます。




 そのやり方はゼミによってまちまちですが、特に日本近世史ゼミは、歴史学の、そしてうちの大学のゼミの中でも1,2を争うほどのきつさだと思います。
 まず、2年生になると、何も知らないまま古文書辞典を買わされ、江戸時代の文書である古文書を読んでいきます。これが本当に意味不明。全く読めない。で、読めない上に、年4回のシンポジウムという形のゼミ内の学会発表会。ここでゼミ内で、ある地域に焦点をあて、そこの古文書を膨大に読まなくてはならない。おまけにうち2回は合宿で、一日中近世史のことだけを考え、朝から晩まで議論をしなくてはいけない。





 これは、歴史学研究を志すものにとっては、本当にまたとない環境。しかも、古文書を徹底的に鍛えるので、文化財関係の古文書を読むお仕事なんかでは、20そこそこにして、古文書好きなおじいちゃんばりに読みこなすことができるようになるという特典付き。




 ただ、歴史学研究を志さない者、それは教師になる人も含むと思いますが、当然以下のような疑問が浮かびます。




 「これって意味があるのかなあ・・・」




 もちろん、大学に6年間もいて、歴史学とちんけな社会科教育学の学問の違いを見てきた自分からすれば意味がある、といえるのですが、大学1年の、それも「学校歴史」や「歴史小説・歴史ドラマ」が歴史であるという感覚で歴史をとらえている学生にとっては、研究室に所属すると、「歴史学」とのギャップに大いに苦しみます。
 しかも、その違いを教えてくれる人なんて誰もいない。ゼミに行ったら、いきなり古文書をばんと渡され、かつ時代区分はどうだこうだ、と学校歴史とは関係のない、しかも念仏のように意味不明で理解できない単語ばかりが羅列する。そんな難しい文章をレジュメにまとめて、報告する。
 「ははは、どうだ見たかお前ら、これが歴史学という学問じゃあ!!!」と言わんばかりに・・・。



 自分もそれで苦しんだ。しかも大学院まで見据えていたから「これを今から5年間やるのは、正直嫌だ」と思い、中世史研究に変更した(まあ、逃げたという言葉が似合うかもね)のです。




 そんなことを承知の上で、彼らは歴史学を、そして日本近世史を選んでいるのだろうか。
 一度、分野を決めたらよほどのことがない限り、分野を変えることは不可能。せいぜい自分みたいに近世から中世へ、のように分野の中で先生を変えることが可能な程度。
 そんな運命を承知の上で彼らは分野を選んだのかなあ。



 しかも、「歴史小説や歴史ドラマ」に取り上げられる有名人の歴史は、たくさんの研究が存在し、もうオリジナリティなんて生まれない。だから研究領域としては、ある地域の人々や社会の様相、になるしかない。実際、近世史ゼミの卒業論文は、ある時代、ある地域の、ある社会事象に関する一考察でしかないからね。そういう地味〜で地道〜な作業である、ということを彼らは自覚できるのだろうかね。



 ま、これって大学に6年いるから言えるんだよね。自分も1年の時はそんなこと全く分からなかったし、そうやって言われても馬の耳に念仏だろうし。



 もちろん、それでも、と選んだ人はすごく多いと思う。だって、大学って学問をするところだから。ただ、大学って遊ぶところだよね、と考えているのなら、歴史学ではないと自分は思う。だし、遊びたい(=もっと社会を見たい)ということだから、そういう人ほど公民系(社会学とかね)を選ぶべきだと思うし、彼らのニーズがそこにはあると思う。




 ただ、その話を聞いている限りにおいては、今の学部1年生は本当に教師になりたいし、学問も真面目にやりたいんだろうなあ、って感じる。それがホントであればいいのだか…。生半可な気持ちで歴史を選ぶと、うちの大学では本当に痛い目見ると思うけどなあ…。




 あと、うちのゼミの先生が常々嘆いていたのは、社会科教師は地理屋・歴史屋が多いから、社会科教育といっても、公民教育(社会制度、社会システム)に目を向けない先生が多い。だから、社会科教育が「社会認識」とか「市民的資質」といっても、馬の耳に念仏で、結局自分の好きな歴史や地理ばっかり教えるから、社会をちゃんと見る事が出来る人間が育たない、と。
 一理あると思います。言われたからには、自分はそうならないようにしたいな、と思います。