■
今日は立佞武多の館に行ってきた。新作「又鬼」を見てきた。
面の表情はあんまり好きじゃないけど、構図、特にうさぎとくまがバランスよく配置されていたのはなかなかよかった。写真じゃ表現しきれない部分なので、ぜひ生でみてほしい。
夜は一心亭の焼き肉。
はあ、明日で東京に戻らないと。それが終わったら5日は午後から部活。その前に事務的なもの、教材的なもの、含めていろいろやり残していることがある。
今週は木・金の2日間しかないから、次の土日が勝負かな。あ、でも、日曜日は浅草でねぶた囃子だ。テストも作らないといけないし…。
う〜ん、やることがいっぱいあるなあ。優先順位をつけて消化していくしかないな。
教育は完全に思想だから、議論ができない。あるとすれば、それは感情的な対立、遺恨を残す対立でしかない。
それは、大学院時代、痛いほど身にしみて感じた。
僕は、教育は学問であるとは、正直思っていない。
学問とは科学性、つまり誰が検証しても、同じ結果、納得のいく結果になるという条件がなければならない。
これを科学の世界では反証可能性という。
しかし、授業というのは生徒の組み合わせ、時間帯など、条件によって左右される。それこそ一回一回の授業が異なる。それが一緒だと感じるのであれば、それはどこかの学問を借用したか、自分のエゴでしかないだろう。
だから、議論は不可能だ。僕はそう思っている。
でも、そう思ったら仕事が進まないのも事実である。
教育現場は難しい。今は企業と同じ感じだ。
ゆとり教育は、教師からも生徒からもゆとりを奪った。
僕の願望は、土曜日の復活と、それに伴う夏休みの復活である。
なぜ教師が生徒もいない中、8時半から17時まで学校に拘束されていなければならないのか。
この拘束されている時間を、例えば海外に行くとか、国内旅行するとかに費やせれば、見識がもっと広まるのではないか。
教師になった今、最近はこんなことを思っている。