青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

通史を語るということ

 昨日は久々に歴史に触れた、って感じがしたので雑考を書いていきます。
 歴史評論の6月号で「通史」について特集していた。
 詳しくは全然読んでいないのでその特集についてとやかく言うつもりはないが、歴史学、あるいは歴史教育を語る上で避けては通れない問題が「通史」と呼ばれるものである。歴史を教えるものは、やたらと「通史」で歴史を語りたがる。
 例えば、学部時代のお師匠でもある先生も、歴史評論に「通史を語ること」に関する論稿を載せていた。ざっくり説明すると、人々は多かれ少なかれ「通史」という形で歴史を叙述している、そうであるならば、歴史教育に課せられた課題は、通史批判学習であり、この通史批判学習を通して、歴史解釈の多様性を意識づけさせるというものである。




 ただし、社会科教育、あるいは社会認識教育の立場から見れば、何を通史にこだわる必要があるのか、という議論も存在する。
 例えば、災害という観点から歴史を照射する、現在の諸問題を過去から問い直す、などがそれである。




 一応まがいなりにも、社会科教育を学としてかじった人間からすると、歴史学歴史教育を考える際、あまりにも「通史」にこだわり過ぎている感が否めない。



 おそらく、歴史「学」としてのポジショナリティをそこにもっていかなくてはならないという思惑があるのだろうと思うが。歴史学者が「社会科教育」ではなく、「歴史教育」と呼ぶゆえんはそこにあるように思う。




 つまり、「通史を描くこと」、「通史を批判し、新しい、自分なりの通史を描くこと」、これを「歴史教育」の目的としているのだろう。



 「歴史教育」であれば、それはそれで構わないだろう。しかし問題は、「通史」が描けたところで何になるのか、という話である。




 例えば1912年に大正時代が始まったこと、国風文化の時代にも中国との交易が行われていたこと、江戸時代、日本は鎖国していなかったこと、それを覚えて何になるのだろう・・・?




 よく、国際社会に生きる上で、日本人としての自覚を持ち…といって某自治体では日本史を必修化しようとしているが、じゃあ、それにおされて、日本の都道府県や世界の国をしらない(地理をほとんど履修しないまま)で出ていく生徒が出てくるのではないだろうか。




 高等学校を地歴科と公民科に分けた(セクショナリズム化した)弊害がここにあるように思う。
 前にも書いたが、僕は「地理歴史科」の、あるいは「日本史」の先生だという自負は全くない。僕は「社会科」の先生だという自負がある。だから、「日本史」は社会を認識するために行われるべきだし、「地理」も社会を認識するために行われるべきである。




 「歴史(学)教育」のアイデンティティは、確かに通史学習であると思う。それが受容するにせよ、批判するにせよ、である。ただし、社会科という立場から見れば、何もそこに固執する必要はないように感じる。現にうちの学校の生徒にはそんな意識ないし。




 こだわりがあるがゆえに、日本史って難しいよね。