青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 検索エンジンにひっからない程度に書きます。
 いよいよ来週の月曜日に、新1年が入学説明会にやってくる。
 今年の1年坊主も、今の1年野郎よりもパワフルだ、って聞いているから、今から戦々恐々なんだけど。
 そんな中、自分の受け持つクラスはかなり特殊な環境にある。



 自分が受け持つクラスは、3年間の中で、実際に企業に出て仕事をする機会が何度か設けられており、それが単位として認定されている。
 しかもそんじょそこらの週1回、お客様程度に行くのではなく、学年が上がれば1カ月程度行き、そこで企業が「こいつは欲しい」となれば、3年の地点で即就職、というビックチャンスが転がっている学科である。




 でも、そんなビックチャンスが転がっていても、そこに来る生徒の学力は低い。もちろん学力が低いのは、自分が教育して変えてやればいいだけの話である。
 



 ただ、この間、その学科の担任を持っている先生方と飲み会をする機会があった。それを聞いて一瞥の不安がある。




 まず、普通科の自分が、工業のことについて素人であるということ。



 3年間かけて真っ当な人間にするのではなく、少なくとも今年の12月までにそれなりに真っ当な人間にして企業に出してやらないといけないこと。



 そのため、ダメなものはダメ、と毅然といえる教師になる必要があること。(実はこれができていない自分がいる)



 厳しい指導をしなくてはいけないので、当然、全員を卒業させることは難しいこと。(ちなみに、年によりますが、だいたい半分以下に減ることもあります)




 その人物を評価するのが、自分ではなく、企業の人であること。




 その他、諸々の不安があります。




 要は、自分を傷つけたくなくて、今まで「まあ、いいや」で避けていたことを、「まあ、いいや」と言えなくなる状況になる、ということです。





 なので、かなりの不安があります。





 もちろん、一人で抱える気はないですし、それ専用の部署があって、その先生方ががっちりと面倒を見てくれはしますから、何かあったら相談はするつもりでいます。





 ただ、「できない自分」を外に出すことが恥ずかしい。



 「目を見て話せない」自分を生徒にさらけ出すことが恥ずかしい。



 
 きちんと怒れない自分を生徒にさらけ出すことが恥ずかしい。





 失敗を恐れている自分がいる。




 要は完璧主義という自分の性格が、この学科の担任を受け持つために必要な資質としてかなり邪魔をしているということです。











 例え、うちの学科がマッチしていなくても、入ってきた以上は、みんなに愛情を注げるように(それは優しさや甘さだけでなく、厳しさもね)頑張らないと。





 あと、電話も怖いんだよね(笑)。これも致命傷だな。