青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

来年度の方針を考える

 来年度、日本史の授業をどうしようかしら。今年一年やってみて、現代史だけで一年っていうのもそれはそれで面白いんだけど、なんかね。あと2年あるから、この2年間で、1年間で近現代史両方ともやれて、かつ、「社会の見方・考え方が分かる」日本史授業の完成を目指すか。この3年間は、1年目で実態を把握し、2年目でもう1回やってみて近代史しかできないことを悟り、それで3年目で現代史を深めようってことで、現代史だけにしたんだけど、どうしても「歴史」っていう科目の制約があるし、それに真剣に「日本史」っていう科目を考えた時には、やっぱり近代史も入れないと、とは思っているからね。
 でも、個人的には(あんまり書くと怒られるけど)、中国との関係とか、朝鮮がどうだとか、東アジアがとか、そういうのは苦手だし、あんまり好きじゃないから、僕はがっつり省略しちゃうんだよね。多分、怒られるんだろうけど。
 それより僕が興味あるのは、例えば松方財政とか、高橋是清財政とか、普通選挙法以降の二大政党制とか、そういう日本の政治や経済が、現在の日本の政治や経済とよく似ていて、こういうところから歴史を学ぶことが大事なんだよ、って示すことの方が好き、なんだよね。
 よく歴史は今との「差異(違い)」とか「特異性(オリジナリティ)」とかに焦点を当てるのが好きだけど、それじゃあ、「なんで歴史を学ぶの?」っていう問いに答えることには全然ならない。そんなんだったら、「八重の桜」とか「平清盛」とか、大河ドラマ見てたほうがよっぽど理解できるし、そもそも社会科として、先生が、教える意味は何もないような気がする。
 むしろ難しいんだけど、例えば世界恐慌による昭和恐慌を、当時の高橋是清蔵相が、積極財政によって公共事業を増やしたり、紙幣を大量にすってインフレを促進させたことが、今、安倍首相がやっていることと、似ているんだよ(うちの学校の生徒だったら、全く同じと多少盛ってもいいかと思うが)、って言うことの方が彼らにとっては実感を伴うし、よっぽどインパクトがあるような気がする。
 ただ、そのためには彼らにとって実感を伴いやすい方、つまり、現代史→近代史の方が、理解がいいような気がする。もちろん僕だって、学部時代は歴史学をかじっていた人間だから、こんな逆引きみたいなことをするのは言語道断であることは百も承知だけど、発展史観が崩れた昨今、これにこだわることにどれだけの意味があるのか、って思うんだよね。今年、現代史しかやらなかったのは、ある意味それに対する挑戦状でもあったわけだし。
 昨日久々に懐かしくなって、自分の修士論文を読み返してみたわけだが、僕が院生時代から徹底的にこだわっているのは、それこそ池上彰みたいに、「社会事象や現象を分かりやすく説明することができる」授業、なんだよね。それは地理だろうと歴史だろうと何だろうと変わらない、っていうもの。
 こだわりましょうよ。でも、来年は近代史もやろう。できるだけ、今の社会が理解できるような形で、ね。