青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

憲法考

 本当は、いろいろと資料を調べてやればいいのですが、そんな時間はないので、自分の感想になります。ご了承を。

 安倍さんが首相になり、今話題になっているのが、憲法改正をめぐるあり方について。
 安倍さんは、憲法96条の改正要件を、総議員の3分の2から、2分の1へ引き下げ、憲法改正を容易にしようとしている。
 ただ、これには賛否が色々あるし、各新聞社によっても、国民がこれを賛成しているかどうかについては割れている。朝日や毎日なんかは世論は反対していると言っているし、かたや読売なんかは国民は半分近くが賛成しているっていうデータを出すこともある。
 面白かったのは、5月2日に朝日と毎日は国民が反対しているという世論調査を出した一方、読売が「国会議員の」9割は賛成しているというデータを出してきたことである。
 憲法をどうするかについては、各新聞社で色が出るからなかなか面白いな、と感じたものである。





 で、話をもう一歩踏み込んでいくが、自分はいろんな物事を比較的冷静にみるタイプである。いわゆる政府に反対する声明を出す様々な団体を見たり、その理論に触れたりすると、「う〜ん」と考え、必ずしも同意ができない人間である。
 ただ、憲法に関しては、自分は護憲派で、今の憲法を堅持していくべきだと考える。




 だから、例えばNHKの討論番組や、こないだの録画したミヤネ屋の憲法特集なんかを見るにつけ、改憲派の言っていることはどこか詭弁くさく、筋が通ってないんじゃないの、って思ってしまうのである。



 例えば、改憲派がしきりに主張する、「自衛隊を軍隊と明確化し、国際社会に対する抑止力にしないといけない」という理論。
 そりゃ国際社会の変化や、中国や北朝鮮の挑発行為を見れば、そういう議論も成り立つだろう。
 しかし、そもそも戦力を持つこと自体おかしな話だし、日本は憲法で「戦力の不保持」を語っていたからこそ、無益な犠牲を払うことはなかったのではないだろうか。
 それに自衛隊を軍隊とみなせば、おそらく日米同盟のなかで、アメリカの要求を断るはずがないので、アメリカの戦争に巻き込まれることは必須だろう。
 



 それと、安倍さんが主張する「憲法を我々の手に取り戻す」論も、どこかうさんくささを感じる。
 そもそも憲法とは、国家及びそれに従事するものを縛るためのものであり、それは憲法99条にはっきりと書かれている。国家権力が暴走しないための歯止めとして憲法がある。
 よく社会の授業で僕は、「憲法を守らないといけないのは誰でしょう?」と出すが、そんなこと教科書には一文字も書いていないし、まして憲法99条なんて太字になっていない。だから、多くの社会科教師はそこをスルーしてしまう。
 実際自分も、大学で社会科教育を習うまで(大学4年まで)それを知らなかったのだから。
 でも、それを教えないと、真に憲法の学習をしたことにはならないだろう。
 まあ、検定教科書だから、国家に都合の悪いことは太字にしないっていうことなんだろうけど。




 話を元に戻します。
 今の憲法改正議論は、どうしてもそこが外れている気がする。自民党が小泉さんの時みたいに「憲法改正するの、しないの」みたいな感じで対立をあおり、「う〜ん、安倍さんの支持率高いし、した方がいいんでないの」みたいな早期の結論を出して、思い通りにしようとしているとしか思えない。
 討論番組でも、欧米を引き合いに出して、国民が憲法改正が必要だと訴えて改正するならまだしも、今回の発案者が、国家に従事したる総理大臣および自民党だ、っていうところが問題だと言っていたけど、それは正しいと思う。だって、檻の中にいるライオンが、言葉巧みに檻のカギを看守からゲットしようとしているようなもんじゃん。





 それと、もう一つ問題なのは、あんまり表立って出てはいませんが、自民党の改正草案。これが非常に危ないと言われている。
 日本国憲法においては、国民主権基本的人権の尊重・平和主義という三つの柱に基づいてできている。おそらく自民党もこの骨子の部分は変わっていませんよ、っていうだろう。



 でも、中身は完全に骨抜きにされている、っていう分析がある。
 とりわけ、「基本的人権の尊重」の部分が深刻である。
 日本国憲法13条には、国民は「個人」として尊重されるとあるが、これが自民党草案では、「人」に変わる。
 解釈次第だろうが、「一人ひとり」ではなく、「集団としての個」が尊重される。
 また、それまで個人に対して認められていた様々な権利は、すべて「公益および公の秩序に反しない限り」と制限される。
 まるで戦前の大日本帝国憲法のよう、いや、それよりもひどい。



 また、先に挙げた憲法99条は、「すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書き換えられる。
 これは完全に、憲法の原理が逆転している。国家権力が作った様々な法律やルールが、憲法の名のもとに保障されることを意味している。



 ※詳しくは江川紹子氏の論考を参考した。(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130503-00024690/



 以上、長々と書いてきたが、
 ・抑止力としての戦力の保持の可能性
 ・憲法の原理が変わってしまう
 ・基本的人権が尊重されない


 という3つの観点から、憲法改正は行うべきではないと自分は考えている。




 でも、自分はこうも思っている。
 どうせ、多くの国民はこんなことを知らずにのうのうと生き、安倍さんのキャラクターや今の日本の空気という、目先でしか決定をしないだろう。おそらく今度の選挙も自民党が勝つ。そうなればもう自民党の思うツボだから、おそらく憲法改正の方向になるだろう。




 と。




 そうなった時に考えなければいけないのは、憲法や法の解釈と運用の問題である。
 かつての大日本帝国憲法も、実は4条で、立憲主義をうたい、権力を縛るものだと書かれている。これは伊藤博文が絶対にいれなきゃいけないとおしきって載せたものである。
 しかし、その4条ではなく、他の、例えば天皇大権や軍の統帥権ばかりが拡大解釈され、戦争へつきすすんでいってしまったことが、戦前日本の反省すべき点だと思う。




 たからこそ憲法を変えないのが一番なのだが、万が一、そういう話になった時には、国民投票となる。
 自分は教師という立場から、今の日本国憲法がいかに理にかなっているか、いかに抑止力となったかについて、語っていかないといけないのでは、と思っている。
 だって、社会科の教師が語らなければ、日本はまた戦争へ突き進んでいく、そんな気が自分はしてならない。
 だからこそ、憲法に関しては、教師の側が護憲の立場からしっかり主張し、国民投票でそれを抑止する必要がある。




 今こそ社会科教師の資質が問われる。そのために今年は、日本史でも憲法の話をしっかりしていこうと思う。特に99条だけは変えてはいけない、と。