青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

社会科教育ゼミ5

 最後は、先生が「ブルーナーの「学問の構造」論をMACOSから読み解く」を発表してくださいました。
 ブルーナーは1960〜70年代頃のアメリカの教育学者で、あんまりいい例えではないですが、「小学校3年生でも、やり方さえ教えれば、微分積分ができるよ」という発想で、学問にはそれを教えるべき構造があり、その構造を教えれば、様々な事象をその構造を応用して見ることができるよ、っていう考えの方です。
 そのブルーナーが1968年に日本でいう小学校5年生向けに開発した『人間の課程』(これをMACOSという)の分析を通して、学問の構造だけでなく、そこにこめられた批判的思考の方法を読み解く、みたいな感じです。



 ただ、現場の自分には難しくてあまり読み解けなかったので、私見だけ述べて終わります。
 個人的に修士時代に同じ学問の構造論が栄えていた時の、社会科教育者のエドウィン・フェントンの学問の構造論に触れたことがあります。フェントンは歴史学者なので、歴史を思考するためにはそれまでに社会科学の知識が必要だと考え、それを歴史学習以前のカリキュラムにおきます。そして、それぞれの社会科学の見方も、例えば【政治的意思決定】であれば、簡単なものから難しいものへ複数事例を見ることによって、【政治的意思決定】とは何か、ということを学習者につかませていくわけです。



 ただし、フェントンの教科書は、結局歴史にたどり着くまでに教える内容が膨大になることと、あくまでも最新の科学的知見を教師主導で行うという点で、「これって本当に正しいの?」という思考を育てることが難しい、そういう課題があります。まあ、簡単に言えば日本で言う詰め込み教育、ですよね。



 ただ自分は、歴史を学ぶためには、あるいは歴史を考えるためには、ある程度の社会科学の知見を教えることが必要だと考えているし、教え込みじゃないけど、ある程度の知識がないといけないと考えているので、フェントンの考え方ってそういう意味でもマッチしたんですよね。



 ただ、今回の発表ではMACOSにはフェントンとは異なり、批判的思考に開かれた教材だったという分析は「へえ〜」と感じました。




 いずれにしても、修士時代の事が思い出されて懐かしく感じました。