青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

cheeky paradeと今の自分を振り返って

 長く書きます。
 先日、卒業生を出したことはすでに書いたとおりだが、チキパの卒業メンバーが多く、とくにりのったま(島粼莉乃)のブログがまじめに書いていたので、まじめに長文でコメントしてしまった。そのことについて書きたいと思う。
 自分がチキパにはまったのは、1年生の担任をしていた時である。1年の担任をしていて、それはそれはつらかった。クラスの生徒が教員にたてつくわ、こっちは指導したいって言っているのに、こいつはもう指導の価値がないと言って話が進展しないわ、いろんな人とコミュニケーションとってようやく指導入るぞとなったら、もう元に戻ってて結局それから学校来なくなるわ、学校やめたいっていうやつがわんさかいるわ、もうドン引きするぐらい下の話してるわで、もう、自分が思っていた理想のクラスとは程遠いクラスだった。
 それが悔しくて、酒に走ったこともあるし、家の隣に神社があるので神に何度もすがったこともある。ストレスから解放されたくて近くの銭湯でリフレッシュしたこともある。あ、この時に整体にも行きはじめた。あれは7月だったな。自分のからだのバランスが悪くて、少しでも自分を変えたい、と思って行ったっけ*1。テスト期間に病気でもないのに休んだら、副担任の先輩先生に、「何で休むんだ、生徒と向き合え」って飲みの席で注意されたこともあったな*2。あ、夏休みには忙しさにかまけて退学書類を2日ぐらい放置してたら、「何で放置してんだ!お前が責任取るのか!」って副社長に怒鳴られ、泣いたこともあったな。せっかく歴史の研究会の手伝いで授業の勉強ができると思ったら、転校する生徒の書類を書きに来い、と呼び戻されたこともあった。実家かえってねぶたに出てても、学校から電話はかかってくるし、しょうがないから、帰りの新幹線のチケットを早めたこともあったな。夏休みが明けても落ち着かなかったな。何とかしたいと思っても、一度狂った歯車はどうにも止まらずで。で、悪いオーラの中心だった生徒が12月に学校の授業で進級ができないことになり、さて、これからもう一度クラスを作っていくぞ、っていう12月に、ラゾーナ川崎の4階・ゲームセンターのステージで出会ったのが、当時、メジャーデビュー直前のチキパだった。




 何か楽しそう、と思い、次の日の豊洲にもライブを見に行った。アップテンポの曲で全力で歌って踊っている彼女たちに少しずつはまっていった。
 ちょうどその頃に、ある本で「成長ノート」の存在を知った。これだ、と思い、生徒にノートをプレゼントし、そこにコメントを付けることにした。自分が思っていること、考えていること、を口で伝えるのが苦手だからこそ、書いて伝えることにした。
 それ以降も、つらいことはたくさんあったけど、チキパにはまって以降の2年間は、マイナスな言葉はなるべく言わないように、もちろん成長ノートには書かないようにして、生徒と接してきた。で、プライベートで時間ができたら、チキパのライブやイベントに行って、たまったストレスを発散していた。というか、チキパからプラスのエネルギーをもらっていた。どんどん前向きに、全力パフォーマンスで成長していく彼女たちだからこそ、自分も前向きに生徒と向き合えたのかもしれない。
 



 だから自分が今、こうして担任したクラスの3年間をいい思い出でしめくくることができているのは、本当にチキパのおかげだと思っている。だからこそ、チキパで1推しのゆりゃの卒業と、2推しのりののの卒業は、同じ年齢の子たちを担任していた自分にとっては、本当に感慨深いものがある*3




 だからチキパには感謝してもし尽せないのである。自分の人生を前向きにしてくれたのは、本当にチキパなのだから。これは紛れもない事実である。
 ちなみに去年チキパにつぎ込んだお金は・・・多分30万ぐらいかな(笑)。でも、いいんだ。それで、自分は幸せな思いをさせてもらったから。



 で、自分は次のステップへと進む。チキパも次のステップに進んで、本当に頑張ってほしい。宇宙ナンバーワンになってほしい。ついていきますよ、これからも。

*1:ちなみに今でも月2回のペースで行っている。初めて担当してくれた人が今年の3月でこの仕事を辞めちゃうらしい。

*2:ちなみにそれ以来は、インフルエンザ以外は例えテスト期間で授業がなくても休まなかった。

*3:ちなみに、推しが自分の教えている代と同じ年ということについて、時々、若干の罪悪感を覚えることがあった。今はまったくないけど。