青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

進学校って

 最近、自分が卒業した大学の付属高校のいじめ報道が話題となった。といっても、自分はこの高校には一度も行ったことがないので内情は分からないが、ネットを見る限りだと、こうしたいじめに近いものはあったようで、それを学校側が隠していたと。ただ、今回の件については被害者の怪我の具合が傷害事件レベルであること、そしてそれを内部で謹慎処分で済ませていたこと、そして、こうした事態に対応するために校長が変わったことで、土曜授業の導入や行事の中止など、今までの付属高校らしさが一気に失われて、生徒が大ブーイングだと、さらに、そういうことを知ってほしいから、生徒が情報をネットに拡散。それを処罰したり、監視したりするから、またさらにネットにそういう情報まで拡散するという悪循環で、それが報道に表立って出てきたのがつい最近、というわけらしい。
 そして、この学校は東大への進学者が多い、いわゆる「進学校」で、東大を目指す人たちがこれによって一気に敬遠して、三年後には凋落するぞ、とまで書かれている。


 この報道を見て、自分が思うことは、「進学校」って何なんだろうな、っていうこと。
 いわゆる東京の「進学校」って、現役で上がることを考えてなく、勉強はそこそこに、行事や部活に一生懸命、だから授業も進学対応のものは塾に任せて、学校の先生たちは自分の趣味に近い授業を繰り広げる、これが古き良き「進学校」だと考えられているようである。
 でも、この「進学校」像モデルは少しずつ崩壊しているようで、今はいわゆる現役で東大に何人入るか、それがいわゆる「進学校」の指標となっている。



 そう考えると、東京だと日比谷、神奈川だと横浜翠嵐あたりが、近年東大進学者を伸ばしつつあるらしい。また、一貫校でも小石川が現役で9名など、着実に実績を伸ばしている「進学校」がある。



 そして、古き良き「進学校」は、生徒の「自主性」がキーワードとなっていて、生徒が自ら発案し、自ら計画し、自ら実践する、そういったものが、特に行事のあちらこちらに見られる。都立国立高校の文化祭(演劇)なんかは、その成功例であり、彼らが主体となって、様々なことを行っているわけである。




 ただし、こうした「自主性」の裏には、生徒の質はもちろんだが、それを支える教員の組織体制も重要となってくる。
 当然、そうした「自主性」を許容せずに管理をしたり、あるいは「自主性」に甘えて、教師が「何もしない」「放任する」ことになれば、それは「自主」でもなんでもなくなるわけである。





 いわゆる「進学校」の難しさは、この「自主性」のバランスであり、このバランスが崩れると、「進学校」は「底辺校」以下の質の学校となる。付属高校の場合は、教師が生徒に甘えて、悪いことの判断も生徒に「任せてしまった」こと、そして、それが失敗して、逆に管理が厳しくなったことで、逆効果となってしまっているといえる。




 そして最近では、団塊の世代の大量退職によって、「進学校」を知っている先生方が進学校から抜け、進学校に初めて来る若い先生たちが、その担い手となっている。
 そして、そうした先生は大方(自分がそうだが)、「進学校」の生徒の質に甘えてしまい、生活指導はしないことが多い。




 ここまで言うと、進学校の先生に問題点がある、といわんばかりになってしまうが、決してそんなことはない。進学校に来ている以上、どの先生方も授業への情熱はすごく、自治体の研究会や教材開発、研修リーダーなどもたくさんいる。そうした先生方が多いのが進学校であるわけだが、とりわけ一貫校の場合、もう一つ事情がある。






 とにかく忙しいのだ。




 それはしょうがない。なぜなら、中学と高校では、生徒の様子も、教師の考え方も、授業の質も、生徒への対応の仕方も、やはり異なるのである。それを一つの学校でやっている以上、何らかの形で統一しなければならないので、中学に合わせれば、甘えた高校生ができ、高校に合わせれば、規律のなっていない中学生が出来上がるのである。そのバランスをとるためには、どうしても会議が多くなるし、意思統一を図るには時間がかかる。
 また、多くの先生が、様々な外部での研修・出張があり、会議の多さに、その研修が加わり、さらには進学校の生徒のためのレベルの高い授業づくり、教材研究、授業の振り返りに加えて、ホームルーム、学級経営、そして、分掌の仕事に部活動・・・である。まさに1日が72時間ぐらいあってもまだ足りないぐらいに、一人の先生に課せられる業務が多いのである。





 心を奪われた状態で生徒を指導すれば、たとえどんな生徒であったとしても、教育として成立しない、進学実績が落ちている学校ほど、今はこういう状態になり、さらに実績が落ちていくことになるのだと思います。




 でもそもそも東大に入れることが本当にステータスなのでしょうか。東大や難関大の合格者を上げることを目指すことが本当に重要なのでしょうか。
 生徒が行きたい大学に入れてあげることが「進学校」の使命ですが、それによって、「深い学び」がおろそかにならないでしょうか。





 進学実績と深い学び、管理と放任のバランス(主体性のバランス)、このバランスが非常にとりづらいのが、今の進学校の実態だと思います。
 このバランスをとるためには、やはり先生方の「心の余裕」や「自信」が重要になってくると思います。うまくいっている学校には、こうした「余裕」があるのだと思います。
 でも、進学校だろうが、底辺校だろうが、人生を教えることに変わりはない、そのことを肝に銘じて明日からも頑張ろうと思います。



 長々とありがとうございました。