青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 今の学校へ異動してきて2年目になりました。当然、2年目ともなればこの学校の色にも少しずつ染まってきているわけで、特に今は高校3年生の受験指導をしているので、それはそれは一生懸命受験指導をしています。
 逆に、高2の時に、受験を意識して教えなかったのが申し訳なかったぐらいに思えてきます。



 と同時に、社会科教育学の目標を意識したり、カリキュラムメーカーとして授業編成をすることをあまりしなくなりました。
 やはり目の前に受験指導という大きなファクターがあると、どうしても日本史の教科書「を」教える指導をしなくては彼らのニーズには答えられません。
 


 また、教科書「を」教える指導となると、どうしても時間が足りません。うちの日本史は高2で週3時間、高3で週3時間、これに夏季講座10日間を加えてようやく11月中旬に教科書が終わる、という感じでしょうか。



 個人的には今日の林先生の授業のような、例えば「北条泰時はなぜ、日本で唯一の革命家と称されるのか?」、「革命とはそもそも何か」などのような、歴史の深い話ができればいいのですが、それを全員にやる時間は当然なく、また、それをこちらが伝えるだけ、というのもまた違うわけで、う〜ん、どうしたものか、っていう感じです。



 また、この間も書きましたが、今日の林先生の授業で出てきた、織田信長の政策を経済的視点で分析する、といったものも、歴史の基礎が理解できていれば面白い話ですが、そんなのが全くない状態でやるのは、これまたナンセンスなわけですよね。



 ってなると、やっぱり歴史は、どこかで教科書「を」教えなければならないわけで、問題はそれをどう教えるのか、というところに行きつくわけです。
 また、受験指導というファクターもあるので、それはなおさらのことで、今の高3を指導していた初期の頃なんかは、それでも最初は抵抗して、東大の問題を引っ張ってきながら、あれこれと試行錯誤したわけですが、結局上の層にも下の層にも話が通じないことが分かったので、諦めました。




 ただ、そうなるとつまる話、我々は塾に勝てないわけで、今はネットも普及しているから別にyoutubeで授業のすごい先生の話は聞けるわけで、我々のオリジナリティはどこでやるべきか、っていうのを考えなきゃいけない、ってわけで、そんなこんなを悩みながら、授業をしている昨今です。



 もちろん、授業準備が追い付かない、中学もやらなきゃいけないし、っていうのは言い訳なのですが、最近、社会科教育学の先生と会うたびに、ああ、自分は少しずつ社会科教育学を捨てて、受験指導の地歴科教員になりつつあるな、面白くない人間になってきているな、楽しようとしているな、と、そんな矛盾を抱えながら教科指導をしているわけです。



 でもそうはいっても、教科書って読むと、意外と面白いんですよね。意外と深いんですよ、最近の教科書は。あと、中学校の教科書って、よくあんな伝えたいことがいっぱいある中で、内容と図を精選しているな、って感心しちゃうんですよね。それは、この学校来て、授業していての感想かな。



 あと3か月、まずは今の高3生をしっかり支えようと思います。