青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 最近買った本

 

 

 

 「4つの89年」に興味を持って購入。「4つの89年」とは、1689年がイギリスで権利章典が出され、1789年はフランス革命が起きて、人権宣言が定められ、さらに1889年は日本で台本帝国憲法が、そして、1989年は中国で天安門事件ベルリンの壁崩壊が起きた年、ということで、偶然にも歴史の「画期」となる出来事が89年に起きているということを憲法学者樋口陽一氏が「4つの89年」と表現しています。

 特に『自由と国家』は、1989年に書かれているというから驚き。憲法という国家の骨組みから国家論や歴史を分析していくと、本当に巨視的に物事が見られて、勉強になります。この「4つの89年」は、歴史教科書に掲載されるようなので、それも見据えて購入したのですが・・・。こちらが理解するのが難しいなあ・・・と。

 イメージとしては、人々が権力者から1689年に権利を獲得し、1789年には人民主権憲法が定められた。しかし、1889年の大日本帝国憲法では人民主権の要素は残るものの、君主の権利が拡大。しかし、1989年には社会主義国家が崩壊する(独裁者主体の国家が崩壊する)、あるいはこうした状態に抗議する活動が起きる、というイメージで、さあ、現在は・・・といった感じかな、と。

 で、樋口陽一さんが2019年に書いたのが「リベラル・デモクラシーの現在」ということで、1989年の曲がり角以降、民主主義はどうなっていったのか、を論じています。

 こうやって歴史を眺めるのは、こういうのが好きな人にとっては勉強になるけど、初学者の高校生には伝わるかなあ・・・というのはあるなあ、と。それに自分もこの解釈で正しいのか怪しいし。

 

 

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者であるブレイディみかこさんによる「エンパシー」に特化した本。

 「アナーキー」とは、無政府主義のことをさす。無政府主義というと、危険思想のように聞こえがちだが、国家が僕らを守ってくれないなら、自分だちで相互扶助しあい、ともに支え合っていく社会を作っていく方がよいのではないか、というのがもともとのアナーキズムの発想。このようにブレイディさんのこの本では、逆説的な視点で社会を描いている論稿が非常に多い。

 例えば、第3章の「経済にエンパシーを」では、利己的に生きることが利他的であり、利他的に生きている人ほど実は利己的である、という逆説が指摘されています。こういう事例は結構あって、例えば「誰かのために」と余計な仕事まで行うことで結果的に残業時間が増え、作業効率が落ちてしまうという事例は、どこの組織でも見られる現象なのでは、と思います。ゆえに、「利他的」を主張する人ほど、実はエンパシーしていない、ということが分かります。

 これは、第10章の「エンパシーを「闇落ち」させないために」にも通底していて、エンパシーとは、他者の文脈に立って考えたり行動することを指します。この点は、相手を感情的に「思いやる」シンパシーとは異なる概念になります。しかし、「エンパシー」を強調すればするほど、余計なエンパシーを行ってしまい、かえって思考停止になってしまう、だから、エンパシーを強調すべきはない、という議論でした。これを「闇落ち」と表現しています。

 近年の歴史教育の議論では、学術的かつ実用的な歴史を考えた時に、その一つの概念として「エンパシー」が登場してきます。ただし、これを研究対象とし、それを測定することは難しいなあ、と改めてこの本を読みながら感じました。

 

 

 

 まだ読んでいる途中ですが、おすすめ。特に教科書で荘園がピックアップされている項目(第1章から第4章)だけでも読むことをおすすめします。

 今年の共通テストでも出題された領域型荘園。それを近年の研究を踏まえながら丁寧に説明してくれています。これまでの荘園は、教科書でも寄進地系荘園の言葉に代表されるように、「下からの荘園形成」が語られてきましたし、多くの日本史の先生はそうやって説明するかと思います。

 しかし現在では、院政期以降に上皇の側が領域を囲い込み、その場所の私有を保障するという形式が荘園であると言われるようになってきました。まさに「上からの荘園形成」ですね。特に、寄進行為が、土地の所有権を保障してもらうために、摂関家上皇に集中するようになった頃から、上皇の側がある程度土地を囲い込むことができるようになっていきます。これが院政期に見られる荘園で、この院政期になって、教科書に出てくる「荘園公領制」が確立していくわけですね。

 現在の日本史の教科書は、両者の記述が併存して書かれているように感じます。歴史教科書のアップデートを阻害しているのは、歴史を教える教師だとよく言われます。だからこそ、高校の日本史を教えている先生は、読んでほしい本だなと感じています。実際、共通テストでも模擬試験でも、この本に書かれているような理解で問題が作られ始めていますから。