青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

「○○という学力だから無理」という考えについて

 今年から自分は、偏差値的に言えば「中堅上位校」と呼ばれるところに勤務している。この学校における文脈は、学ぶこと自体が苦ではないし、暗記することもそれほど苦だと感じていない。しかし、学ぶこと=暗記すること・教科書を書き写すこと、と考えている生徒が多く、前任校でやっていたような、学術的なものに関しては、そもそもどう手を付けてよいのか、が分からない層が多い。だから、普通に授業をしている先生にとっては、とても「指導しやすい」学校だと思う。

 

 それでも自分は、前任校レベルのものを提供したいと思いながら授業をしている。

 そんな中、勤務校の卒業生でもあり、6年ほど講師として勤めている日本史の先生とお話しする機会があった。その時に、自分のプリントを見て、

 「東大入試を解かせるような授業や、ここに書かれている大日本帝国憲法のコラムが分かる生徒は、よくて1人か2人なんじゃない」

 と言われた。

 たしかにそうだ。考査ごとに東京大学の入試を解かせてみているのだが、今回の問題は、どう手を付けてよいのかが分からない人がクラスに半分近くいたのが特徴的だった。

 その一方で、日本史は彼らにとってどうやら得点源らしいので、その先生は(この学校でやっている先生)、結局、知識を細かく、ていねいに教えていることをしている。それで、何だかんだで日本史を受験する生徒は8割近く取れているんだそうだ。

 

 この一連のやり取りの中で、自分がモヤモヤしていることがある。それは、

 

 ○○のレベルだから、これはできて、あれはできないということがそもそも存在するのだろうか

 

 ということである。

 この点について、自分は個人的にNoだと思っている。

 

 自分自身、大学院で歴史教育の論文を書くにあたって参考にしたのが、E.フェントンの「ホルト社会科」と呼ばれるプログラムである。これは、1960年代のアメリカ新社会科期のカリキュラムの一つで、いわゆる「詰め込み教育」が行われた60年代の、ブルーナーの学問の構造論の影響を受けているカリキュラムである。

 

 ブルーナーについては、様々な研究があるが、一言で言えば、「足場架けをすることができれば、小学生でも微分積分ができる」、そんな発想の考え方である。

 

 これがフェントンのカリキュラムでどう反映されているか。フェントンのカリキュラムの歴史教育だけにあてはめてみると、第11学年(高校2年生)に『新合衆国史』という、いわゆる歴史が設定されており、その歴史を学習する前に、9学年や10学年の段階で、政治や経済の授業が設定されている。そして、その政治や経済の授業の中で、政治に関する見方・考え方、経済に関する見方・考え方を実際の事例に当てはめながら獲得し、その獲得した見方・考え方を応用して、歴史の授業を行う、という考え方である。

 

 歴史は学問系統でいえば、「政治」「経済」「地理」などの諸要素を土台にしないと、学問的な探求や追求は難しい。そのため、こうした概念を先に学習し、それを歴史に応用させることで、歴史をより深く学ばせよう、と考えたのがホルト社会科になっている。

 

 自分は今でも、この考え方が、現行の指導要領下の中で、歴史を深く学ぶにはもっとも有効な手段だと考えている。なので、自分が歴史の授業で意識することは、政治的な諸要素や経済的な見方・考え方であり、それが歴史事象に影響を与えている、そんな視点なのである。

 

 もちろん、新社会科期のカリキュラムなので、内容が過多である、過度に学問主義である、生徒の文脈を無視している、社会科学における価値の問題を完全に外的なものととらえているなど、この時期特有の批判もあり、1970年代になると、フェントンは考え方を変えていくわけなのだが、この時期の学問主義的なカリキュラムを学ぶことは、これから始まる「コンピテンシーとしての歴史学習」において多大な影響を与えると個人的に考えている。

 

 そして、自分が東大の問題を課しているのは、難しいとか簡単とか、そういう次元で出しているわけではない。例えば今回は大日本帝国憲法をテーマにしているが、憲法とはそもそも何か、大日本帝国憲法に見られる二面性、そしてその二面性それぞれから見られる国家像の展望を知ってほしいし、その見方を、例えば今の社会と照らし合わせてほしいと思っているから、教材として提示しているに過ぎないのである。

 

 

 もちろん、前任校に比べれば、足場架けの数は増やさないといけないだろうし、今まで使っていたものをそのままやってしまうと、不和を起こしてしまうのは事実だろうと思う。でも、だからといって、彼らがやりやすい、知識を客観的なものととらえ、それを客観的なまま教える歴史学習をすることは、個人的には違うと思っている。

 現任校に勤務して半年。少しずつ前任校との違いを感じ、そこに悩み始めてきたなあ、と感じているところです。でも、その悩みがないと授業改善にはつながらないので、それを楽しみながら授業を作っていこうと思います。

 

※ちなみにE.フェントンのカリキュラムの特徴については、

 

山田秀和『歴史教育における価値注入回避の論理 : 中等ホルト社会科『新合衆国史』を手がかりとして』

 

渡部竜也『米国における「批判的思考」論の基礎的研究(Ⅰ) : 学問中心カリキュラムにおける「学問の構造」論の展開)

 を参照にしています。