青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 1リットルの涙を普通に見ました。最近はどっちかっていうと3月9日の方が挿入歌のメインになりつつある気がする。でも、粉雪もいい歌よ。それを本気で練習してたせいで風邪をひいた可能性もあるんだけどw。あと、Kの歌は本気で歌うとMステの小池君みたいになっちゃうので、普通に練習中。模擬が終わって風邪が治ったら行くと思います。


 今週じゃないんだけど、来週はいち教育者として「障害」をどう受け止めるか、っていうのがテーマになりそうなんで、楽しみです。結論は見えた気がするけど、それをどういう過程でもっていくか、これに大いに期待です。
 その前提として今回は進学校ならではの反応が返ってきたと思います。ハンデのある人がいると、勉強の進度に支障をきたす、ハンデがあるなら、それをケアしてくれる養護学校なりの特別なところへ行くべきだ、などとあります。


 昨年一応障害児教育の授業をまがいなりにも受けた僕が、一番目をひいたのが、テキストにあった障害者の生の声ですね。普通学級に入って、劣等感を感じ、罪悪感を感じて生きるよりかは、養護学校なりのケアをしてくれるところに入れば、自分の進度でできるし、ケアもしてくれる、しかも、同士もいる、っていう点で養護学校を恥ずべきことではなく、むしろ、教育を受ける点、本人の精神的な点から見ても、そちらの方が適しているっていう記事だったんですが、


 僕はその考えに一般的に賛成ですね。
 最近、模擬授業で通貨体制のことを思っていても、「平等」って果たして何かな?って感じておりまして。「平等」=「みんなが同じ」で果たしていいのか、っていう疑問があるんですよね。むしろ、「真の平等」=「一人ひとりが自分にあったものをする」、これが一見逆のことを言っているようで、社会的に見れば平等という観点に立っているのではないかと思っています。


 まあ、今回の場合は本人の意思が固いので、それは止めるべきではないとは思います。小学生や中学生ならば、止めてもいいとは思いますが、高校生は「10あれば、3教えればいい」と言うのが僕の持論なんで、本人が来るべき時に気づくのを待つ、それが最良の方法なんじゃないかと。でも、来週気がつくはずでしょう。それを待たなくてはならない、だから、教育って難しくて奥が深いんですね。


 来週は、教室で出た意見を拾いながら、生徒と障害の観点に立って考えたいと思います。何か意見のある方は、コメントをお寄せ下さい。参考にいたします。