青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

高校で歴史総合が始まるにあたって

 いよいよ今年度より高等学校では、学習指導要領が変更され、高校1年生から歴史総合が開始されます。

 やはり学習指導要領が改訂されるインパクトはすごく、Twitterや研究会をはじめ、多くの情報発信をしている歴史教師たちは、社会科教育や教育学の知見を踏まえながら、生徒にいかにして歴史授業を意味あるものにすべきか、研鑽を重ねています。

 しかし一方で、歴史学を専攻している大学の先生は、こうした運動に対して懐疑的であったり、批判的であったりするように感じます。それは、これまでの歴史教育を行ってきた人ほど、そのインパクトに対応することを拒んでいるようにも感じます。

 そんな中で注目されるのが、こうした歴史教師たちが学習指導要領変遷にあたり、自らの実践をどのように変化させてきたのか、のいわゆるライフヒストリーの側面です。

 ここで一つの事例となるのが、昨年行われる全歴研の研究大会で行われた議論です。ちょうど全歴研研究紀要第58集が届きましたので、そこからいくつか事例を踏まえて紹介していきます。

 そして、このライフヒストリーの側面を見ていて、特に気になることが、多くの歴史教師たちが、一度「チョーク&トーク」(講義式)で授業実践を行い、そこに疑問を感じてから、自らの実践を変化させているということです。

 例えば、中村洋樹先生は、近畿地方の私立高校に勤める世界史教師のライフヒストリーを紐解きながら、教師の力量形成に研究会がどのような役割を果たしているのかについて分析してきます。

 そこでも、1年目から5年目までは、いわゆる「チョーク&トーク」の一斉講義と小テストを繰り返すスタイルでの授業が行われていたこと、そして、6年目以降に受験と関係のない学校へ異動した時に、その授業ではうまくいかないという挫折を経験。それ以降、例えば佐藤学氏の「学びの共同体」論に着想を得た協同学習を試みに始め、研究会での出会いや授業見学、自らの実践の発表などを通して、そうした学習をブラッシュアップしていく過程が示されている。その過程では、例えばジグソー学習やフリップボードの活用、講義パートとアクティブラーニングパートのバランスの保たせ方など、色々な試行錯誤の過程が示されている。

 また、第5分科会の報告では、産業能率大学の皆川雅樹先生が、自らのライフヒストリーを公表している。そこでも、2009年までは「チョーク&トーク」の授業を行い、「板書が分かりやすい」など、生徒の評価も上々であったことが示されている。しかし一方で、そこに「違和感」を持つようになり、そこから小林昭文氏の活動型の授業から学び、少しずつグループワークを入れていく活動へ変化していく様子がつづられている。その過程で、KP法で学習内容を説明するなど、少しずつ歴史授業がブラッシュアップされていく過程が示されている。

 

 

 ここで注目されるべきことは、歴史教師がまず、「チョーク&トーク」(講義式)を経て、そこで試行錯誤をした結果、協同学習、ジグソー学習、KP法、グループワークなどの方向性を導き出しているというプロセスである。

 ここで考えなければならないことは、

 ① 歴史教師たちの基礎学力としての「チョーク&トーク」(講義式)

 ② 過度な方法主義への危惧

 

 である。

 一点目については、現在の指導要領に基づいた授業をしている歴史教師の多くが、やはり講義型の歴史(歴史事象)とその背景(因果関係)に関する造詣が深いということである。この2例以外にも、いわゆる「歴史×アクティブラーニング」や「歴史総合の目標実現」を目指している多くの歴史教師が、「講義」をベースに自らのライフヒストリーを形成している傾向がある。

 二点目は、こうした方法学習は目標なきままに生徒に提示されると、生徒は、話し合いのスキルは向上するが、その内容は不問に付され、コンテンツフリーになってしまう危険性である。これが、歴史に関する基礎がないままに行われた時に、「歴史総合」が実現できるのか、というのは考えていかなくてはならないだろう。

 

 

 ただし、自分はこうした「内容」と「方法」、「科学性」と「主体性」の二分論を克服するには、やはり「目標」をしっかりと設定する必要があること、そして、歴史に対する生徒のニーズをしっかり把握することが重要であると考える。

 

 

 例えば、西村豊氏は、高校生へのアンケートを通して、どの学習文脈においても,生「歴史を学ぶ目的」に関して,「知識や教養を身につけるため」「現在をより深く理解するため」「過去から教訓を学び未来にいかすため」の3つを重視しており、「歴史学の研究手法を学ぶ」ことを重視していないことを指摘する。また、全歴研の紀要でも、第5分科会の討論過程で梨子田喬氏が「ただ、一つ言えるのは、歴史学的な実証的な問いをそのまま生徒に落とすと、生徒はアレルギー反応を起こしますね」と述べている。

 

 

 こうした学習指導要領の変更に加え、歴史教師たちのこうした感覚から、社会科教育学的手法が一定程度受け入れられたのだろうな、と感じている。特に、渡部竜也氏の「Doing History」が与えたインパクトは、大きかったのだろうと感じている。

 

 

 ただ、こうした社会科教育や教育学の知見が入り込んできた時に、一定程度の歴史学の先生がこうした取り組みから離れている(むしろ、探究へ入り込んでいる)ことが、気になっている。また、指導要領の趣旨を考えても、探究科目は、こうした学問の受け皿ではないことは自明のことであると思う。そこは、歴史教師が目の前の生徒の学習文脈を把握しながら、様々なアプローチを通じて、歴史授業を「意味ある」ものにしていく必要があると感じる。

 

 

 来週から始まる歴史総合、自分も試行錯誤をしながら頑張っていきたいと思う。