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昨日の続きを書きます。大学の2年間を棒に振った僕が今更焦りながらこの文章を書いております。まじめにやろうと思います。
昨日は青森県が如何にかわいそうな県か、危険な県かっていうのを示しましたが、今日は
情報の希薄性
について考えてみたいと思います。Xバンドレーダー問題が取り上げられたのが約半年前、車力にほぼ決まりだしたのが今年頭、つまり、何だかよく訳のわからない兵器をたった3ヶ月で導入しようとしたわけですね。いきなり頭ごなしに来たら、誰しもが思う疑問、それは
なぜ、車力が?
ちなみに防衛庁の回答は
これ以上はないそうです。それではい、そうですかと言ってのうのうと受け入れると思いますか?でも、青森県民はこれを受け入れてしまう優しさがあるんですねえ。青森県民は深入りのしない県民性があるように考えられます。独自の感性と、すばらしい才能はあるはずなのに、コミュニケーションというツールがそれを大きく阻害してしまったいるのです。かつてハーバーマスは「社会構成の最小単位は相互間のコミュニケーションである」という「コミュニケーション的行為の理論」を発表しているわけですが、この理論を単純にあてはめるならば、
「コミュニケーションの希薄性が社会の狭小性をもたらし、社会の狭小性が、すなわち情報の希薄性を促している」
と論理を進めることができると思います。そんな情報が希薄なまま、住民説明会が3月に開かれた矢先の市長の表明ですから、青森県民のイエスマンぶりを全国に如実に示したことでしょう。
青森県という小社会の特異性は東京や大阪など大都市圏のそれとは大きく社会構成を異にすると私は考えます。それは言語、すなわち津軽弁の略語の多い面からも察することができると思います。言語の希薄性は社会を狭め、情報をいやがうえにも遮断してしまう。そして、情報の希薄性に、県民性が付与された青森県民は、その同族意識の強さも相俟って、イエスマンぶりを発揮し、リスクの大きな建物を多く誘致するという形になっているわけです。
話が逸れてしまいました。Xバンドレーダーはその道の専門家でも理解できない部分が多いとされています。また、これはアメリカのものですから、当然に日本の防衛庁に入ってくる情報の量もアメリカのそれよりは少なく、また、青森県に入ってくる情報も防衛庁のそれよりは少ないはずです。そのゾウリムシ程度の情報で判断しろという方が無茶な話です。しかし、そんなゾウリムシ程度の情報でも青森県が、つがる市がイエスと言う、もう一つの理由があるわけです。それはまた明日書きたいと思います。
誰も読んでくれなくてもいい、僕が自分の考えを大学生らしく表明する場として、この日記があればいいと思っております。