青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 某萌えドルさんの日記をみたり、昨日今日のメディア報道をみて思ったことを殴り書きしておこうと思います。こんなことやってないで、試験勉強やレポートをやれと言われたらそこまでだけど、まあ、書きます。
 暴力ふるったら、本当にやった方が悪いのかなあ?


 いや、確かに話し合いで解決しようとしているのに、いきなり暴力振るったらそれは暴力振るった方が悪いですよ。かの有名な五・一五事件でも犬養毅は「話せば分かる」って言ってましたし。それは公権力だって同じですし、歴史上でも暴力を振るった方が悪者として美化されている傾向(赤穂浪士のやつとか)があるわけですし。


 でも、もし、もしだよ、相手が自分を侮辱することを言ってきたらどうよ、・・・うん、これならまだ暴力を振るった方が悪いよ、でも、それがある特定の種族を侮辱するような社会的な発言だったら?今しきりに叫ばれているのは、そういうことを言ったっていう報道だよね。

 
 いや、確かに情報っていうのは、自分の都合のいいように、あるいは、どっちかの都合のいいように語られるから、まるっきし鵜呑みにするのは絶対よくないと思うよ。でも、そういう線が強いとしたら、責められるのはジダンだけでいいのかな、って思うわけ。


 もちろん、言った方を徹底的に責めろっていうわけじゃないよ。そんなことしたら生きていられなくなるし、それこそ精神的犯罪ですし。でも、悪いのは両方だっていう視点を持ってほしいのね。例えイタリアが好きだ、フランスが好きだ、って言ってもさ。僕にはそれが感じられなかった。だから、少し苦言を呈したくて仕方がなかったわけさ。


 まあ、敢えて皮肉を言えば、ジダンはこれで新撰組赤穂浪士のような美化された存在となるわけなのでしょうか。正義のために、国のために、そして、(もちろん情報としては曖昧だが)人種差別撤廃のために戦って、討ち死にしたとでもいうわけでしょうか。


 これは、おそらく愛郷心の問題も深く関わってくると思うのね。でも、この問題に関しては取り立ててその愛郷心愛国心をある程度留めるべきだと僕は思うんだよ。まあ、何とも優等生な、大学生っぽくない答えになってしまいましたけどね。これだから、自分の意見が持てなくて歴史学でもはんつけなんだよなあ、って自分を皮肉ってみる。