青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

拿捕のニュース

 今自分が思っていることを自分の頭に入っている範囲で書きます。間違っているかもしれませんが、そこはご了承下さい。
 日本の漁船がロシアの銃撃を食らい、一人が死亡し、残る三人がロシアに身柄を拘束されている事件ですが、そもそも、日本とロシアの経済水域は、領土問題と同様、かなり曖昧に構成されているんですよね。で、よく聞けば、漁獲量の減少と、ロシアからの輸入によって、カニ漁も危機に迫っていたというではないですか。なので、ある程度のリスクを犯してでも、ロシアが主張している水域に入って仕事をしていたのではないでしょうか。それゆえ、威嚇射撃なしに制裁を加えたのではないかと解釈ができます。
 でも、水域が曖昧でなければこんな事件は起こらなかったはずでは。まあ、何も行動ができないいち個人が、国や政府に責任を押し付けるのもどうかと思いますが、ロシアとの領土問題による国境画定・経済水域の画定は、戦後61年経った今でも曖昧なままです。中世国家においては、国家という形態がまだ未完成であるがゆえ、国境認識などは個人の認識によって如何にでも解釈はできるとは思うのですが、仮にも近代国家・現代国家である両国がここまで曖昧にしてしまった、それがこの事件の引き金の一つになっているのではないでしょうか。


 僕はこの日記でも常々言っています。小泉純一郎福沢諭吉である」と。それは、この事件からも如実に露見したのではないでしょうか。小泉政権の5年間は、ロシアとの領土問題の話し合いがなされず、北方領土問題が凍結し、「5年間の空白」といってもいいような現状であります。福沢諭吉はかの有名な「脱亜論」において、アジアの伍を脱し、欧米列強に接近せよということを述べていますが、小泉首相の外交も、端的にいえば「アメリカ中心外交」であり、アジアにはあまり配慮を示さない外交だと言えると思います。まさに、脱亜思想です。明治時代には樺太・千島交換条約という条約があったがゆえに、福沢諭吉はロシアにはあまり配慮を示していないように思えるのですが、これは、逆からいえば、ロシアも日本版型華夷秩序*1の中において「華」には位置づけられていなかった表れではないでしょうか。すなわち、明治時代の日本にとって、ロシアは対等たるべき存在だったと私は考えます。そのような意味からいうと、福沢諭吉小泉首相もロシアには目を向けていないという点において、共通しているのではないでしょうか。


 しかし、社会科を教える身として考えてみると、果たしてロシアとの領土問題をこのまま投げ出していいのでしょうか。このまま放っておけば、頻繁には起こらないにせよ、また同じような事件が起きるはずです。今は福沢諭吉が生きた「欧米に追いつけ追い越せ」の時代とは違います。それなのに、小泉首相のやっている外交はまさに福沢諭吉や明治国家が考える外交姿勢そのものなのです。果たしてこれでいいのでしょうか。「華」を重んじ、「夷」を軽んず外交はよいものでしょうか。靖国参拝は一面的に言えば、まさにこの思想の表面化でありましょう。中・韓・露との関係はもはや完全に冷め切っております。これを打破する方法は「日本が折れるか、このまま放っておくか」の二択しか選択肢がないぐらいに冷め切っています。隣国を軽んじた明治時代とよく似た近代外交の姿勢を、次期政権はどう変えてくれるのでしょうか。


 また、社会科を教える身としては、これを知らせる職務があると思います。北方領土問題なんて、たかだか扱っても30分は扱わないでしょう。しかし、このような領土問題の背景には、諸外国との思想の違い、歩んできた歴史、多用な解釈と言ったイデオロギーがうごめいています。それを、嫌だ、けがらわしいと言って、生徒に教えないことが果たしていいことなのでしょうか。社会科は知識の伝達といったきれいごとだけで済ましていいのでしょうか。社会科は社会に出る・社会を知る学問なのではないでしょうか。もちろん、こういう授業が学校現場にはそぐわない授業である事は、私の教育観においては自明のことではあります。できれば、私もこういうきれいごとだけでは済まされない問題は避けて通りたい。しかし、今目の前に起きている事件を扱わないで何が社会科だ、とも思うんですね。私の中では社会科は「切実性」を優先させるべき学問であると思います。教科書に書いてあることなら、塾に行けばできるし、家で読めば誰でも分かる、もちろん、成績をアップさせ、学校の評判を上げるためなら、それもやむをえないかもしれない。でも、それが社会科かと言われると、必ずしもそうではない気がするんですよね。


 一人ひとりの力は微力かもしれないけど、だからといって、現実から目をそらしていては、何も生まれてこない、社会科はそんな「切実性」を持った学問なのだと思います。とりあえず、現段階で言える事は、どちらが悪いということは論ぜず、早い段階での遺体と身柄の引渡しをしてほしいと思います。その上で、タブーとはいえ、北方領土問題・経済水域の問題を含めた早期の話し合いをしてほしいと思います。でも、領土問題を解決するためにはもう日本が折れる以外に道はないような感じがしてならないんだけどなあ…。


 長々とご購読ありがとうございました。

*1:日本史に流れる重要要素であるが、教科書ではあまり扱われない。すなわち、古代日本が中国に朝貢することで属国化し、中国の支配化の中に入るという考え方のことで、この場合は中国が「華」で、日本が「夷」である。それを日本も応用し、古代以来、自らを「華」とし、朝鮮を「夷」と位置づけていた。その後、近代に欧米諸国の思想や文化が日本に流入してくることにより、それまで中国が「華」だったものが、欧米諸国を「華」と考え、中国は対等の存在として認識するようになった。