青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 ミッドナイトコラムのお時間です。不定期更新です。おそらく1回やったら満足して終わると思います。
 今日は東西認識のお話。みなさんは、日本の北と南はどこだと思いますか?北といえば北海道、南といえば沖縄や九州と答えるでしょう。でも、それはみなさんが今の日本地図を見ているからです。中世においては、全く違う答えが返ってきます。中世では、京都を中心にして北と南、つまり、北は新潟の佐渡島だし、南は和歌山の熊野になります。ということは、九州は西だし、関東やそれよりも向こうは東ということになります。


 伊勢物語の中で在原業平は妃に手をつけたばっかりに左遷されることとなってしまいました。それがかの有名な「東下り」です。でもどうして在原業平は東へ左遷されたのでしょうか。西でもよかったのではないでしょうか。実は当時の人々にとっては、西=明/大陸/文明の象徴、東=暗/未知の世界/東夷という全く反対の認識が成立していたと思われます。それは、今の東京においても全く当てはまると感じます。例えば、山手線に乗っていても、池袋〜上野間と新宿〜品川間だったら、みなさんはどっちに行く頻度が多いでしょうか?多分後者では?また、東武東上線や京成線と、東急東横線小田急線、どっちがおしゃれですか?多分後者では?そう、今の東京に住んでいる我々にとっても東というのはどこか暗い存在なのです。さらに、人生に挫折した人が東海道新幹線に乗って九州へ逃げた歌謡曲と、上野発の夜行列車に乗って、北海道へ逃げた歌謡曲、あなたはどっちを知っていますか?多分後者では?


 つまり、在原業平が東へ下るということは、それなりに意味のあったことなのです。東へ下るというのは権威失墜の証拠でもあり、ある意味屈辱でもあるわけです。また、東というのは未開の地であり、まして今の青森県がある辺りは、古代〜中世移行期にかけてはアイヌ民族と同一化され、国家の枠組の中に入る事さえできていません。これを示す便利な言葉があります。「辺境」です。つまり、奥州平泉政権期〜鎌倉幕府成立期にかけての青森県というのは、異界の地であり、またさげすまれ、流刑としての地でもあったわけです。


 まあ、何がいいたいのかというと、そういう東の考えもしっかりと歴史の中に取り入れていくことが必要だということだし、現代生活に即して言えば、青森だってすばらしいんだってことです。田舎もんを馬鹿にするなってことです。


 ちなみに覚えておいてほしいのが、鎌倉時代武家政権ができたといっても、公家政権は残存していたし、例え承久の乱で公家勢力が失墜したとはいえ、東と西では年貢等の収拾体系も違っていたということね。だから、東と西は異次元だっていう考え方もできるかもしれない。歴史教科書ではいかにも鎌倉を中心に全国的統治が行われたかのように書かれているけど、そんなことは全くないから。鎌倉新仏教だって、旧仏教よりも勢力は小さいわけだし。


 これは今日の国語科教材開発論の授業を参考にして作成しました。