青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

社会科とは⑦〜教養としての世界史〜

 思考停止状態で書くのは心許ないのですが、今書かないと書けないのでね。お許し下さい。


世界史をより面白くするため、大学が動く。

 大阪大学には今年度前期、「市民のための」と銘打ったアジア史とヨーロッパ史の科目が開講した。高校での世界史の必修逃れ問題を受けた、主に世界史未履修者が対象の教養科目だ。

 アジア史に登録した学生は38人。アンケートに答えた25人のうち、世界史を履修しなかったのは1人だけで、世界史Aの履修者が12人、世界史Bが11人、AB両方が1人いた。テキストに高校の教科書を使う。週1回、計13回の講義で、アジアの古代文明から現代まで通史的に行われた。

 毎回の小テストでは、「モンゴル帝国と現代のアメリカ合衆国との共通点を説明せよ」といった問題で学生に考えさせた。期末テストは論述と言葉の穴埋め問題で、教科書、ノートは持ち込み可。「暗記より、その場で調べるスピードの方が大事」という担当の桃木至朗教授(52)は世界史の教科書執筆者でもある。

 「受験のための歴史と違って面白い」と好評で、来年度も開講予定だ。

 必修逃れ問題は昨年、文部科学省の「救済措置」もあって解消されたことになっている。ただ、世界史B(4単位)より、単位数が少ないA(2単位)を選択する高校が増えるという流れが必修逃れ問題で加速した。1年生で必修の世界史を終えると、2、3年で文系は日本史B、理系は地理Bを選ぶケースが多い。

 「生徒に基礎学力がない1年の段階で、近現代史中心の世界史Aを教えるには教師の力量がいる。その後の学習がなければ、大学に来るころには、未履修と同じ状況になる」と桃木教授は懸念する。

 桃木教授は月1回、高校教員と、新しい学説や効果的な教え方を研究する勉強会も開いている。「生徒を引きつけるには、まず先生が面白く感じなければ」という考えからだ。



 京都大学文学部では昨年から、高校の世界史教科書に近い教材や、歴史教育用のコンピューターソフトを学生に作らせる講義をしている。「学生たちが高校でこんな風に学びたかった」と思う教材作りを目指す。

 やはり、世界史教科書執筆者である杉本淑彦教授(52)のゼミ生を中心に約15人が参加。19日は教科書会社の元スタッフを招いて、教材作りの経験談を聞いた。

 前期は、第1次世界大戦から現代までの世界史について、学生が分担して数ページずつ「教科書」を作成。後期はコンピューターを使って、第2次大戦や冷戦などのテーマについて、映像や音声、ゲームなどを取り入れた教材を作る。

 将来、教員を目指すという岡本浩知さん(23)(4年)は「高校では暗記型で点数を取るための詰め込みの学習だったが、角度を変えて、人間の歴史を学ぶような教材にしたい」と構想を練る。

 「本当に教科書検定をパスするぐらいの意気込みで作れと指導している」(杉本教授)

 学生たちのアイデアが、教科書や教材に生かされるときが来るはずだ。(大垣裕、写真も)

 教科書検定 民間の出版社が作成したものを、文部科学省が学習指導要領に沿っているかどうか審査する。小学校、中学校、高校の順でおおむね4年サイクルで行われている。内容について検定意見が付いた場合、教科書会社は記述内容を修正する。検定に合格した翌年度、教育委員会などが、どの教科書を採択するか決定。学校で使われるのは、さらにその次の年度からとなる。

(2007年10月24日 読売新聞)


 昨年世界史未履修が発覚すると、大学が動きました。いわゆる「市民のための世界史」、世界史未履修であっても「教養として」世界史を身につける必要性からでした。
 そもそも自分は世界史は嫌いです。あのカタカナ地獄、イスラム系の王朝名の多さ、近代になるとヨーロッパ国家の多さ、そしてその関係、人名…。吐き気がするような感じですぐに頓挫。結局地元の採用試験落ちてしまいました。


 しかし自分の得意な日本史の観点で言えば、「歴史は流れ(物語)で覚える」という手法があります。あいにく自分の知識と時間がなかったため世界史ではできませんでしたが、世界史でもそれは可能だと思います。
 また、大学での世界史はより現代との関連を重視します。大阪大学のやつもそれです。とても高度ではあるのですが、それが歴史学の一歩手前の状態だし、「教養」という観点に立てばそうする方法が一番いい、特に進学校の生徒にもウケがいい方法だと思います。


 そもそも世界史を必修化することに意味をなさない、と主張する人はいます。しかし次の学習指導要領においても「世界史必修」はなくならないと思います。では「世界史必修」を前提とした上で社会科に何ができるか、それは授業を面白くする工夫だと思います。そのためにはより身近な現代とのつながりが必要だと思います。私たちの民主主義はロックやルソーから生まれたものだし、大日本帝国憲法はドイツのビスマルクから生まれたものだし、我々が抱くインド人というイメージはイギリスの植民地政策から生まれたもの。そういう「生徒が知っている」ところからアプローチしていくことが重要になってくるように思えます。


 余談ですが、理論と実践は違います。理論的には世界史そのものの必要性を問うべきでしょうが、実践においては世界史の存在を前提としてあれこれ議論する、社会科教育の先生と現場の先生が噛み合わないのはそこにあるんだなと思います。