青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

地域を見つめる視点

 土曜日に小学校の社会科の話を口から出まかせでしてしまったので、それをここに書き残しておきたいと思います。
 小学校第3学年と第4学年は、社会科は地域学習の単元になっています。商店街、防災、水、ごみ、歴史、この辺りがテーマでしょうか。
 そして小学校の中学年ですから当然、地域との関わりや、身近にあるものとの関わりを通じて社会を見ていかなくてはなりません。
 また、小学校ですから答えを教師が示すのではなく、児童が「気づく」ように、また児童自身が「意見を言える」ように、極力「児童なりの答え」を求めていかなくてはなりません。



 しかしこれが意外と難しい。




 特に中学校の先生なんかはすぐに答えを言ってしまいそうになります。



 でも、小学校の先生は小学校の先生で大きな問題を抱えています。
 それは、社会科を道徳の一環(態度形成教科)として位置づけてしまうことです。



 もちろん、学校における究極的な目標は、「子どもの全人格的な成長」なので、それを否定するつもりはありませんし、道徳が専門だったり、他教科の人であればそれもなむなし、とは思います。




 しかし、態度形成をすることが社会科ではないと自分は考えています。



 社会科の目標は、態度形成をするために、その背後にある「社会事象をきちんと理解する」ことが必要です。



 例えば、ごみの問題。これは究極的には地球環境問題とつながり、「ごみを減らそう」とか「リサイクルを心がけよう」などという目標に収れんしてしまうと思います。
 それでもいいのではあるのですが、そんなのだったら、別にごみでなくても他のことでできます。
 では、社会科としては何を求めていけばいいのでしょうか。



 それは、例えば某市では今でも何でも燃えるごみに捨てる事ができますが、某市ではきちんと分別が課されている。おまけに某市では袋は何でもいいけど、ある市では袋は有料化だ。
 さて、この違いはどこから来るんでしょう?



 これだけでも子どもはいろんな仮説を立て、自分なりの答えを求めていきます。
 そして同時に、有料化=自治体の思惑、が隠れているわけです。
 ごみを出すのにも自治体のコストがかかるわけです。
 このコストの側面を自治体は隠します。同時に「エコ」という道徳的な理由をつけて、住民に態度形成を要求します。



 
 どうです?これも社会の見方です。
 地域に隠れているもの(=自治体の思惑)を明らかにすること、これが西の社会科が求めている批判的思考力です。



 また、小平市では米を作りません。ほとんどが畑なんです。これはなぜか?
 これは一口にいえば、用水が確保できないからです。
 でも、小平には玉川上水という用水が流れています。これは江戸時代に玉川兄弟という地域の歴史を担った人物が努力と工夫をして、作ったものです。
 でも、玉川上水は上水、つまり飲み水です。どこの飲み水か、それは江戸の人(今の23区の人)の飲み水なんです。
 当然、この地域の人たちの、飲み水であったかもしれませんが、おそらく農業用水にはなっていなかったでしょう。
 ってことは、多摩地区で教材化される玉川兄弟は江戸の人のためにはなっても多摩の人のためにはなっていないわけです。
 


 こうすると、小平の地形を「水」や「歴史」という側面から説明することができます。



 このように、地域というのは直接彼らが触れる事が可能な場所です。だからこそ積極的な体験活動は重要であると思います。それと同時に、気づいた事を社会認識に持っていく力が実は「プロ」としての社会科教師です。
 こういうものって、実は子どもからは生まれてこないんですね。だから、ほんの一瞬でいいんです。ごみの出し方の違いでも、小平には畑が広がっていることに気づかせることでも、それを不思議がる、探究したくなる問題を立てるだけで、子どもは勝手に推理を始めます。そしてそれが高い社会認識を生むことになるのです。




 ただ、これはあくまでも社会科としての理論です。小学校はあくまで全科制ですし、担任制なので、こういう批判的思考、っていうのは子どもに悪影響なんじゃないか、って思う人がいるかもしれません。でもでも僕は、



 地域を愛する=他と相対化してみたり、疑問に思ったりしてこそ愛することができる



 と思っています。嫌よ嫌よも好きのうち、です。
 自分はそういうことをここの研究室で学びました。それを現場に生かしていきたいと思っています。