青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

帰ってきた金八レビュー〜第1話〜成績至上主義な親

 いやあ、みなさまお待たせいたしました。この3年ちょっとの日記の中で唯一まともに続いたコーナーが帰ってまいりました。前回の金八が3年前、自分が大学1年のときでこの日記もまだまだ駆け出しの時でした。あれから3年が経ちましたが、その間に学生ボランティアを始めて東京の教育現場に触れ、教員採用試験も受け、3年前とはまた教育に近づいているお年頃になってしまいました。一方で日記は適当になり、見てくれる方も…ま、どうかは知りませんが、ともかくまた半年間お付き合い下さい。
 ちなみにこの3年の間に自分はmixiとかいうものも始めてしまったのですが、おそらくそっちの方にもこの部分は掲載するかと思います。また、前回の第7シリーズの金八レビューは日記一覧の「金八」っていうキーワードをクリックすれば、たちどころに全話のレビューを見ることができるようになっています。
 以下、例の如くネタバレを含んでいる可能性がありますので、まだ見ていない方はぜひご覧になってからどうぞ。



 さて、いよいよ始まりました第8シリーズ。前回の第7シリーズのスタートがクラス全員で担任と対決姿勢というピリピリモードだったのとは打って変わって、和やかな感じでスタートしました。
 そんな中でも確実に桜中学に人事異動の嵐が吹き荒れてた気が…。多分桜中学は各学年2クラスぐらいしかない設定になっているんでしょう。前回はCまであったわけだし、今回から3Bの人数も25人と5人減っているし、その辺りも学校選択制の余波でしょうか。


 自分は多少学校現場を見ているとはいえ、東京都の学校選択制のことはまだ実態として全く分かりません。今行っている先は選択制なのかは分かりませんが、クラス数がここ数年で増えた学校なものでして。でも、聞く話によると本当にひどいところはひどいらしいですね。入学者9人とか、いないとか、そういう事態が平気で起こるから、小学校も中学校もガイドラインとかマニフェストとかを示して積極的にアピールしたり、6歳児とその親御さんを学校に招いて給食を食べさせたり、なんていうこともしているみたいです。
 自分は教育に競争原理を持ち込むのは一部賛成、一部反対なんですけど、少なくとも前の総理がやろうとしていたバウチャー制度に関しては反対の姿勢をとっています。地域にとって学校という存在は極めて大きいのだから、それを競争によってつぶすということは、地域をつぶす、商店街をつぶす、コミュニティをつぶすことにもつながりかねないからです。過度の競争原理によるデメリットの補正をしっかり考えて欲しい。むしろ潰れかけている学校にこそよい教師、多い予算を配分して、学校を、地域を再生させるぐらいの気概でこの制度を利用して欲しいと自分は思います。


 それから各シリーズに必ず一人はいる、ガリ勉タイプの子ですが、今回の子は正直自分の中学校時代にすごーくよく似ています。自分もぶっちゃけあんな感じです。違うところといえば、内申を気にしていないところぐらいでしょうか。昔は学級委員といえば、自分みたいに責任感があるって他人に思われているやつが押し付けられて泣きながらやるっていうのが定番だったのでしょうが、今は内申のためにやるっていう人が…やっぱいるのかな?
 確かに学級委員や生徒会役員はそれだけで内申の大きなポイントになります。自発的にやることは大いに結構ですが、なるだけなって仕事を押し付けたり、放棄したりするのだけはやめてほしいと思います。そういうやつは自分だったら容赦なく…ってできるかな?
 茨木のり子の詩を聞いて、彼は何を思ったのでしょうね。「ぎらりと光る」人生とは何か?「生きている」ってどういうことか。何のために勉強するのか。答えは見えてこなくとも、少なくとも「親のため」ではなく「自分のため」に勉強するようになってほしいなって思います。自分は親にも恵まれてて、本当に自分の好きなことをやらせてもらいました。…それが勉強だったっていうのは何とも皮肉ですけど。自分にとって勉強は「将来の自分のため」にやっていたことでしたからね、昔から。しかも、何気に振り返ると一生懸命に勉強している自分が何となく好きだったり、勉強そのものが好きだったりします。勉強は内申のためにするのではない、自分のためにするんだ、それに気づいてくれればいいなって思います。



 あと、今回出てきた親は両方とも今よくある「成績至上主義な親」でしたね。内申が上がるためなら教育委員会へ行くのも辞さない、果ては成績が悪いからって構わない親ですから。そういうのはないない、って思いたいけど、都会の親ほど、いいとこの親ほど、そういう傾向が強いんだろうなあ。そういう親に屈さないだけの話術を身につけないといけないんでしょうか、自分。
 教育ほど口出しのできる専門職はありません。というか、こと教育に関してはいろんなところにプロがいるんです。現場・行政・学術機関…、このそれぞれが別々のベクトルで教育のプロとは何たるかを語っている。そしてこと教育に関して言えば、子どもを育てたというだけで親もプロだと言い張れる可能性がある。
 しかし、家庭教育に関してはプロであっても、学校教育に関しては決してプロではないのだということを親は理解しなければならない。そして、学校教育に関しては教師を信頼してもらわなくてはならない。そのために教師は、学校教育のプロたらねばならない。残念ながらそのための免許更新制度なわけですからね。決まってしまった以上は文句を言えないので、更新制度の充実で以てプロとしての質の保証をしていかなくてはならないのだろうと思います。



 後は…そう、インターネット。あれ、ぶっちゃけた話、あるらしいよ。聞いたことある。中学校でもクラスの掲示板が。今あんなので友情だとか結託だとかされちゃうんだからたまんない世の中だよ。ま、こういう自分もこうやってネットに自分の考えを公表している地点で変わらない部分もあるんだろうけど。
 それからネットカフェに入り浸るって中学生でもあるのだろうか。



 今回は変わりゆくデジタルな教育現場に、アナログな金八先生がどう挑んでいくかがすごく見物なシリーズになるな、って思いました。学歴至上主義には人間一人一人を見ていくべきだと答え、電子掲示板には心のホームページというノートで答える。デジタルな時代になっても変わらない温かさを教育現場にもたらすべきだと教え諭しているかのようですね。



 そんなこんなで週に1回、こういう感じでやっていくのでよろしくお願いします。