青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

10月12日を振り返る

 朝は頑張って早く起きて、蹴上〜山科ルートで。いやあ、早い、早い。同じ時間に出たのに余裕だった。
 学会2日目。今日も報告だけ聞いて、レジュメ集めて…って感じ。ほとんどが実践報告だったので特に質問もせずに。個人的には西の思想が東の先生に叩かれていたのが見ていて面白かったり。
 午後は課題研究でシティズンシップの分科会へ。お茶の水付属小の「市民」という科目で、子どもが多面的に物事を知ったり考えたりする活動をしたら、自然と街作りに貢献したくなったという話は、行動を目的とするのではなく、知識理解と思考を基礎にすることの重要性を教えてくれた気がした。


 そんな学会を途中で抜け、せっかく滋賀に来たのだから、ということで滋賀の史跡探訪を決行。向かった先は…


 どかーん、と彦根城。ただ、この彦根城天守閣に行くまでに時間がかかった。元々戦国時代から続く井伊家のお城なだけあって、山城。ひこにゃん目当てで生半可な気持ちで天守閣に行くと、山道なのでほんと疲れますよ。


 でも、山城なだけあって、眺めは最高で、そこから琵琶湖を拝むことができました。
 


 で、肝心のひこにゃんなんですが、僕が到着する20分前にいなくなっていて、もう出てこないってことでした。結局生ひこにゃんは拝めず。残念!
 なので、パネルでご勘弁を。



 休みなだけあって、残念ながら天守閣の中は30分待ちで入れず。家族づれが多かったですね。中には自分と同じく社会科教育の学会を途中で抜けて来ている人もいました。やっぱ学会ってそんなもんですよね。



 
 ここまでなら、普通のひこにゃん目当ての彦根城観光。しかし、歴史あがりの社会科大好き人間はここからが違います。彦根城に来たらぜひ立ち寄ってほしい場所。それがここです。
 



 ここは埋木舎(うもれぎのや)といって、幕末に安政の大獄を断行し、後に桜田門外の変で殺害される、大老井伊直弼が若いころに生活していた屋敷。なぜここが埋木舎というのか、というと、直弼は井伊家の十四男で、当主やお世継ぎからは遠く離れていたため、実質ここで茶の湯や学問などに興じているだけの質素な生活でした。政治や世継ぎの舞台には全く関与することのできなかった直弼は、「世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」と詠んだことからそう呼ばれているわけです。


 故郷の彦根でのこうした生活が、大河ドラマ篤姫での井伊直弼茶の湯のシーンとなっているわけです。


 17時で終わりだったらしいのですが、ギリギリ入ることができ、中を見ることができました。復元ではありますが、不遇な時代の井伊直弼彦根での暮らしを垣間見ることができて、ぶっちゃけ彦根城より満足しました。
 歴史好きなら彦根城だけでなく、埋木舎もぜひ訪ねてみてください。



 その後は京都まで1時間かけて帰宅。帰る途中であいつに遭遇し、そのままそばを食す。うまかった。


 その後は北の方へ歩いて行く。この日、近くの平安神宮では京都学生祭典が、四条付近の粟田神社では大灯呂(ねぶたみたいなの)が運行されていたことが後に発覚し、そっちの方に行きたかったなあ、そうしたら多少テンションも違っていたのに、と少し後悔。京都の学生たちの熱い光景をぜひ肌で感じたかったです。それとは裏腹にマンガ喫茶mixiだもんなあ…。ほんと、後に振り返るともったいないことをしました。


 それで帰ってきて少し飲んでから寝ました。