青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 不透明な時代を生き抜くにはどうしたらよいか。やっぱりコミュニケーションなんだな、とつくづく思う。
 バブル崩壊以降、「これさえやっていればOK」という明確な答えが言えなくなった。勉強をして一流企業に入れれば将来が安泰、という時代でもなくなった。医者だって過酷労働で報酬に見合わなくなったし、公務員だって「おまえらばっかりもらいやがって」と給料は削減され続けている。それで周りを見渡せば、非正規労働者で、ない仕事のイスを奪いあって、その日その日を何とか生きていたりするわけだし。



 でも、だからといって、明確な答えがなくなったわけではない。科学の世界では知られたことであるが、この世の中のありとあらゆる「答え」は、「暫定的に多くの人々が「正しい」と認めた答え」である。
 であるならば、人々がコミュニケーション(議論)を通じて、「正しいものを導き出す行為」こそが今の社会必要なんだと思う。




 だけど、自分もそうだし、生徒を見ていても思うのだが、自分の答えを発することを極度に恐れている生徒が多い。元気がない。自分に自信がないからだと思う。
 いわゆるネットコミュニティの進展は、人々に、コミュニケーションの選択手段を与える余地を生んだ。そして、ネットでのコミュニケーションによって、ネットの中にコミュニティが生まれ、現実を生きている自分だけでなく、ヴァーチャルな世界で、自分の欲求を叶えることができる自分を生んだ。今や人々は、何が自分の「リアル」なのかがわからない世界を生きている。




 でも、大事なのは現実社会で、人と人とが接している世界で自分を出すことである。人と人とが接している社会では絶対に、自分の思うとおりにいかないことがある。でも、そこから逃げていてもしょうがない。そのコミュニケーションから逃げないこと、それを担任になったら教えていきたいな。




 ネットコミュニティを否定することはできないし、このコミュニティはさらなる進展をしていくことだろう。だけど、僕個人としては、2010年代にこのコミュニティがどこかで限界を迎え、復古主義じゃないけど、人々が生身の人間同士がきちんとお互いの意見を言い合える社会になっていければいいな、って思うんだよね。そのための学力をつけてあげさせたいし、そのための意思決定の方法を教えてあげたい。