青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 いま、ちまたでは2020年型学力が話題となっている。入試システムもそれに合わせて変わるのだそうだ。
 2020年型学力は、自分の感覚でざっくり説明すると、それまでの知識注入型、講義式、一問一答形式の学力観や授業観ではなく、思考重視型、議論や発表などのアクティブラーニング型、論述形式の学力観や授業観へと変化していくだろう、ということである。
 新しい学習指導要領でも、知識、思考だけでなく、関心の部分が「学びぬく力」へと変化し、入試のためだけではなく、生涯にわたって社会に出た時でも、学び、考えられるような能力を養っていくことが求められてくる、ということである。
 まさに今回の学習指導要領は、説明だけを聞いていると、それまでの学力観をパラダイムチェンジしたような、そんな指導要領となりそうなのである。
 だが、現実教えるのは現場の教師たちである。
 現場の教師たちは(自分もそうだが)、これまで習ってきたことに対して、何の抵抗もなく、むしろ得意だったからこそ、教師になっているわけである。そもそも「自分は授業で発表することが好きだったから、教師になる」っていうもの好きはまれで、だいたいは「その教科が得意だった」や「部活がやりたいから」など、自分が学校という現場で受けていた教育が「よかった」から、その職に就いているわけである。
 そんな人たちが、これから始まる学習指導要領を教えるのは、正直にいって無理だと考える。
 いや、正確にいうと無理というよりは、これをバカ正直にやると、教師が過労死しそうになる、ということである。
 例えば、小学校では英語が正式に教科となり、プログラミング教育も導入される、おまけに授業時数は増加し、とてもじゃないが週5日制では消化できないほどになっている。
 そんな新しいことを学ばなきゃいけない上に、公立校であれば、多様なニーズの子どもたちに対応しなくてはならない、おまけに夏休みもない、研修行かなきゃいけない、それにプラスアルファで、家庭での子育てなど、プライベートなこともある・・・。
 また、比較的時間に余裕のある高等学校の現場でも、大学入試が変わるため、それに対応しなくてはならない、おまけに地歴科・公民科は教科内容の変更だし、多くの科目で新しい科目が登場しているので、新しく作らなくてはならない・・・。
 とりあえず今は正月休みなので、かなりインプットをすることができているけど、ひとたび現場が動き始めたら、そんな余裕がないほど、今の職場は忙しい。おまけに職場の中で、「がんばろう」という気持ちの人が少なく、その精神状態は、早く帰る人を「ずるい」とか、「あいつは仕事しないで帰りやがって」と思ってしまうほど。まさに、心を亡くしてしまうほど、忙殺されているのである。
 そして、そんな忙殺状態だから、ごめんなさいでは到底済まないミスに発展しやすくなる。生徒を傷つけることは当然あってはならないのだが、忙しくなると、発言や行動が、常識では考えられないことをしてしまいがちになる。
 そんな心をすり減らした人間が教えることが、果たして未来の子どもたちにとってプラスになるだろうか(反語)。





 これから求められる教育は、正直、「教師になりたい」と思う人が教えることのできないものとなる。むしろ、これまでの学校教育の枠から外れた人たちが評価される、そんな時代へと突入するのである。
 最近読んでいる本を読めば読むほど、教師が教えるべきことって何だろうな、って思うことがある。受験のための知識だったら、塾の先生の方が強い。今は、ネットでも見れる時代だ。ネットの方が分かりやすい。人生を教えるんだったら、学校という小さな社会に閉じこもっている大人なんかより、社会をたくさん知り、たくさん見ている大人から、ホンモノを学んだ方が、より多くを得られるだろう。
 だから教師は、教える存在ではなく、コーディネートやプレゼンテーションをする時代になった、とよく聞くが、コーディネートが教師の仕事であるならば、そこら辺の会社の営業と変わらねーじゃん、って。それに、そんなんだったら自分って何なん?って思うよ、うん、思う。自分なら。





 最近、今の勤務校にいると、そんなことばかりを考えるようになった。二校目となり、自分の目標がある程度達成され、新たな目標が見つかっていない。見つけようとしても、それが究極、「自分のため」になっていくような気がしなくて、ただただ受け身の日々を、今の職場では送っている。こんなんじゃダメなんだろうけど、それを克服する術を自分は今、持ち合わせていない。



 post-truthという言葉は、真実はさておいて、気持ちや感情に訴えたものが、正義となっていく社会を示す言葉である。でも、それが正義となった場合、新たな独裁者が正義をふりかざしても、それが真実で正解となる世の中である。そういう風にならないために、教育をしていかなくてはならない時代である。
 真実や答えのある問題が大好きで、そして自分をアピールしたくてしょうないけど、うまく自己表現できない自分にとって、本当に生きにくい世の中になったなあ、と最近つくづく感じるわけです。



 じゃあ、オルタナティブは?
 社会的な正解は「誰かと対話し、自分の「軸」を持つこと」。でも、ネガティブな自分の正解は・・・



 「現状維持」「情報の流れるがままに身を任せ、時々陰で愚痴を言う」



 これに尽きますな。


 とりあえず2017年、自分がしたい野望を羅列。
 受験指導を頑張って、志望校にたくさんの生徒を入れること
 論考を発表し、雑誌に載せたり、学会発表すること
 深い、教養のある日本近代史の授業(必修・日本史B)をすること
 入試問題を積極的に活用するんだけど、その入試問題を深く教える授業を提唱すること(→ちなみにこれが、歴史の授業で新しい学力観と、現実の入試、そして勤務校の現状に合わせてできる唯一の答えと確信している)
 早く帰ること(→これ重要!)。自分の趣味を充実させること(→これマジで重要!)
 旅行に行くこと




 そんなことを思いながら、明日東京(戦場)へ戻ります。